最近の心が痛んだ目撃談。
近所の小学校の校庭に沿うようにある細長いささやかな公園で近くの
保育園児たちが遊んでいた。
数人の先生と一緒で課外保育っていうのかしら
その中に男性保育士がいて、なかなかのイケメン先生だった・・・のだけれど、
その一見、爽やかそうな雰囲気とは真逆のシチュエーション
イケメン先生は小さな・・・まだ3,4歳というところだろうか?男の子と正面に対していた。
「す・わ・り・な」「座りな」「ス・ワ・リ・ナ」とひたすら威圧的にその子に命令していた。
男の子と先生の間は3mくらいだったかな~???
仁王立ちに近い立ち方の先生とそれを見上げ動かない子供。
なにか異様な感じがした。
私はその間も歩き続けていたので、ほんの数秒の目撃なのだけれど、
なぜに男の子はその様に「座れ」と命令されているのか前後関係が全く分からないのだけれど
「座れ」と命令されなきゃいけない良からぬ行為をしたのだろうけれど。
子供がかなり見上げなければいけない目線で大人がひたすら「座りな」と発し続けている事は
子供にとってかなり恐ろしい状況じゃない
子供は反抗してというよりは、固まってただただ「座りな」を連発する先生を見つめていた。
正確に言うと1度違うパターンも先生は言った「座りなって言ってるんだからす・わ・り・な」
どんな悪い事をしたのかは知らないけれど、もし私がこの子でも1度、命令に従うタイミングを
外してしまい先生にひたすら「座りな」を連呼されても体が動かないだろう恐怖で。
程なく通り過ぎてしまったので、その先は分からないけれど男の子がとても可哀想だった。
トラウマにならなければ良いのにな~と願った。
その保育園にチクってやろうかとも思った
モンスター・ペアレントじゃなくてモンスター・ネイバー
いや、これはモンスターではないだろう・・・
大人が考える以上に心の傷は長い間残る。
とても小さな事と思える事でも傷になる事がある。
そしてその傷が癒えるのは、それを補うだけの温かさに触れ続ける長い年月がいるのだろう。
さて~netflixで「アンという名の少女」原題は「Anne with an "E"」というドラマが先月から配信されました。
モンゴメリーの「赤毛のアン」のドラマ化です。
カナダの会社が作ったドラマをカナダ以外にネットフリックスが配信しています。
大のアン好きの私には嬉しいドラマです。
「人生に必要な知恵は全て幼稚園の砂場で学んだ」という有名な言葉がありますが、
「人生を前向きに生きる知恵は全て赤毛のアンで学んだ」と私的にはなるわけです
大げさじゃなく、本来あったはずの私の中のオプティミスティックな部分・・・ペシミスティックに支配されがちな
そういう部分を引き出してくれたのはアンでした。
シリーズ1は7つのエピソードがあり、原作をなぞって作られてはいるけれど今までの映画やドラマのアンとはかなり
違う作りになっていて、毎回、泣かされてしまいます。
主役のアンはエイイーベス・マクナルティとう子が演じていて、これが原作を初めて読んだイメージとピッタリな女の子
私の中でアンと、これまた大好きだった物語の「長靴下のピッピ」はほぼ同じ容姿のイメージ。
というのは小学校の時に読んだ「赤毛のアン」はまったく挿絵的な物は無かったと記憶。
それに対して「長靴下のピッピ」は表紙にはピッピが描かれていたので、アンはピッピの様な女の子なんだろうと想像していた。
どの映画やドラマでも、今までは自分の中のイメージとは違ったけれど、今回は納得している。
オープニング映像がとても美しい。ウィリアム・モリスっぽい幻想的な映像の中のアン。
主題歌はザ・トラジカリー・ヒップというカナダの人気バンド(私は全く知らないバンド)の
「Ahead by a century」という曲。
この歌詞の中に「リハーサルなんて無い、それが人生」ってあってなかなかね~これがね~
「ぶっつけ本番!!!それが人生」と訳したほうがもっと楽天的でいいかな
毎回、泣けるのは原作とは違いアンの心のバックグラウンドが描かれているから。
夢想家でひたすらおしゃべりし続けるアン。
難しい大人が使う様な言葉をたくさん知っているアン。
そうならざるを得なかった幼いアンが経験してきたであろう辛い過去とそれに向かい合うアンが描かれているのだ。
ご存じのように養父、養母はマシューとマリラ。
彼らは当初、働き手となる男の子が欲しかったので手違いで来てしまったアンに戸惑う二人だけれど
マシューは早くから受け入れマリラは受け入れたいとは思っていなかったが、あるエピソードで変わる。
学校に編入したアンは孤児という事で周囲から偏見の目で見られ、友達にもいじめられる。
その友達の親からは問題児として非難がマリラにも向けられるエピソードが心を打った。
女の子の友達とアンは休み時間にあるおしゃべりに夢中になる。
ある子が先生とその学校の女の子が二人っきりで部屋に閉じこもっていたという話で
アンは「それを親密というのよ」と話す。他の子は「親密」という意味が分からないのでアンは自分の
体験を話す。
それがとうてい幼い子供とは思えないエピソード
「ねえ!その女の子、先生の下半身に手を伸ばした」「私のいたお家では奥さんがそうするたびに子供が出来たのよ」
興味津々で笑い合う女の子達。
それが親の耳に入りアンを退学にしてほしいという要望が出てマリラも親の仲間外れにされてしまう。
厳格なマリラはアンに不信感を抱き、やはり悲しみにくれているマシューに訴えるのだけれど、
マシューの答えが意外だった・・・
当然、マリラはマシューもアンに対する落胆で悲しんでいるのだろうと思っていたのだけれどマシューは
こう言ったのだ。
「あの子の年齢で覚えなくても良い事を覚えなければならなかったアンを思うと切ないのだ」と。
マリラと同じに私もハッと気が付かされた。
表面に出てきている見える物だけを見るのではなく深く深く考えられるマシューの人間性
マリラもそれに気づき、それ以降はアンのおしゃべりや芝居がかった夢想も受け入れるようになった・・・
エピソードのタイトルがとても良い。
エピソード2は「"I Am No Bird, and No Net Ensnares Me"」私は鳥じゃない、だから私は罠にはかからない・・・
エピソード6は「Remorse Is the Poison of Life」後悔のし過ぎは人生の毒・・・
前者は悲しく後者は教訓にしたい言葉です
アメリカではネットフリックス契約者がケーブル契約者を上回ったそうです。
アメリカとかってほとんどがケーブルチャンネルよね?
日本でも徐々にそうなっていくのかな~
ネットフリックスだけではなく動画配信サービス全般に。
私も最近考えるもの。
J:comにフル加入しているけれどCNN,ゴルフネットワーク以外はほとんど見なくなったものね~
Amazonプライムやネットフリックスで映画を見たり見逃していた日本のドラマ・バラエティーなどを
見たり。
そうなるとCNNやゴルフネットワークだけCS契約したほうが良いのかな~とかね。
無駄に料金をたくさん払っているような気がする
そうそう、最近Amazonプライムで見た映画で面白かったのは「アサシンクリード」
ゲームがあるんでしょ?面白そうと思っていて昨年この映画が公開された時に見たかったのだ。
フィレンツェが舞台だっていうしさ。
でもレビューを読むとあんまり良さそうでもない
しかし要するに好みの問題よね
映像が凝っていてハラハラドキドキのアクションの連続
まるで日本の忍者のようなアクションだけど。こんな映画は内容がどうの・・とかは吹っ飛んでしまう。
映画館で3Dで見たかったよ~
ただ一つ残念だったのは、全くイタリア度ゼロ
スペインのアンダルシアが舞台だった・・・それでも面白かったよ~
それと「清須会議」と「テルマエ・ロマエ2」がとても面白かったです
意味わかった?
イタリア感を感じたいなら、絶対ゲームをすべきだよ~
もう~ たまらんですぜ
映画は、マリオン・コティヤールが綺麗だったぁ
赤毛のアンって、成人したお話もあるよね。
私は、マシューの「そうさのぅ」って口癖が好きだったなぁ。
ゲームはね~登場人物の映像が怖いよね?
特に女の人。チェーザレとかうらやまだけど。
それにゲームに関しては驚くほど私は頑張り屋なの。クリアするまで頑張っちゃうなので他の事が何もできなくなっちゃうのでダメだわ
憧れて眺めるだけにします
もう一つ憧れはmy little box?だっけ???頼もうかな~と思いつつ月によって違うから悩ましい・・・今月、あれ先月?だと「いらないな~」とかさ
>私は、マシューの「そうさのぅ」って口癖が好きだったなぁ。
今回のマシューを見るとELTのいっちゃんを思い出します。どことな~く似てるの