渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

不明刀工の特定

2022年01月25日 | open

具体的には明らかにしないが、
以前友人と話をしている中
で、銘鑑漏れの刀工の
作に
ついて、私は「この刀工が
怪しい」と目星をつけて多
角度から二人で検証
した。
友人曰く「この刀工の作で
間違いないですね」とのこと。

一発で的中だった。
完全銘鑑漏れ。
だが私のサイティングで特定
できた。しかも一発だった。

この友人とは二人しての解析
で、現代刀工の代銘を数名
特定したことがある。
本当は誰が銘を切っていたの
かを。物故者まで含めて。
そういうのというのは、見て
いれば判るのだ。ず~っと
見ているのである。
何から何まで隅々までずっと
見るのだ。狙撃兵の訓練
「キムのゲーム」のように
観ながらも見るのである。
すると自ずと見えるべき
ものが見えてくる。

刀という物は、よ~~~く
見るに限る。それは観るの
ではなく、診るように
視る
のであり、眺めるのでも
ただ目をやるのでもない。
見て見て見抜くの
である。
see でも look でもなく 
watch であり gaze なの
である。

よくあるイラストの間違い
探しが不得意な人は日本刀
を見る事はまずできない。

注意力の問題でもあるが、
「見えるものが見えない」
という人は日本刀の状態が
何がどうなっているのかが
見えない。現実的に目の前
に存在する事象を
認知でき
ないからだ。

ぐねぐねに曲がっている刀
にも気づかず、ひどいのに
なると、多数の刃
こぼれが
あることさえも感知できな
かったりする人もいる。

私が知っているので強烈だっ
たのは、古刀と新刀の鋼の
色の違いついて
話をしていて、
古刀が青いということが
どうしても判らないらしいの
で、「これとこれどう見える?」

と尋ねたら「どちらもピカピカ」
というのがあった。

色以前の捉え方の問題なの
だが、研ぎ師が白くこすった
部分を焼き刃=
刃文だと思い
込んでいる人たちが世の中は
大多数であるので、もうそういう

ことはどうしようもないこと
なのかも知れない。


日本刀に関しては、私は一つ
の傾向性を知っている。

それは、刀が見えない人は、
10年経とうが20年経とうが、
同じようにいつ
までも刀が
見えない、ということだ。
これは不動の定理としてある。
そしてそれは、刀を用具として
使うスポーツ武道をやっている
人たちに異様に多い。
理由は分かる。彼らは日本刀や
日本の文化には興味が無いから
だ。試合での旗上がりにしか
興味が無い。
だから日本刀などは箒と同じ
用具としてしか扱わない。
これは現実にそうだ。

刀が見えないということは、
その刀が持つ特徴も感知で
きないということで
あるから、
当然にして、物の善し悪しや
何がどうであるのかも感知
できない。

感知できないということは、
まったくもって皆目不明の
ままであるということなので、

いつまで経っても目が開か
ないままなのだ。
また、そういう人は努力も
しない。

努力もせずに最初から完成
されているようなことは、
こと人間に関しては
まず
存在しない。

ただ、努力すると「より
一層良くなる」というので
あって、努力しても駄目な
ことは
あるので難しい問題
だ。
たとえばセンスや性根は努力
では変りようがない。


だが、しっかりと見ないと
刀は見えない。こればかり
はどうしようもない。
日本刀に多く接する機会が
ある職業に日本刀研磨師=
研ぎ師がいる。
ところが・・・
研ぎ師でもまったく刀が
見えないのがいるので、
あれは一体どうなっている
のかとは思うが、現実は現実
として刀が見えない人なの
だから致し方ない。
たぶん・・・ずっと一生刀は
見えないことだろう。
よせばいいのに、そういうの
に限って、人に対して偉そう
にしたがる。これ実際に。
誰かガツンと言ってやれよ、
とか思うのだが、まあセンセ
センセと言われて来て勘違い
しているのだろう。


これは私。
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