渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ダンケルク(2017)

2022年01月04日 | open
『ダンケルク』(2017)

ただただリアルで悲しい現実を
描いた映画。
1940年、ドイツ軍に完全包囲さ
れたイギリス軍とフランス軍は
フランス北部のダンケルクに
孤立する。
英仏40万人の将兵たちを救出
する為
に、英軍はありとあらゆる
すべての民間船まで徴用して
決死の救出作戦に出る。
その現実にあった事実を描いた
映画作品が『ダンケルク』だ。
ただ、史実としては、沖合に停泊
するフランス艦艇はこの作戦に
おいて何もせずに傍観を決め込ん
でいた。

フランスがナチスドイツに占領
されて以降はフランスはナチス
の支配下に置かれた。
そして、北アフリカ戦線では
植民地国家の利害の対立から
フラ
ンス軍とイギリス軍が戦争
を開始
した事は意外と知られて
いない。

枢軸国に降伏後のフランスのヴィ
シー政権は全軍を掌握しており、
それがナチスドイツ傘下になった。
亡命したフランス人は英国に
おいて自由フランス軍を作る。
そのフランス本国軍が途中から方針
を転換して孤立していたイギリス
側についた事とアメリカ合衆国が
第二次大戦に当初不参加を決め
込んでいたのに、日本軍が戦争に
引きずり込んだことにより本気
で第二次世界大戦に参戦した事が
第二次世界大戦の流れの中では
大きかった。それと小ずるく
狡猾な赤い熊のソ連が、当初は
ナチスと手を結んでいたのに
ドイツがソ連本国をも脅かすと
察知してからは掌返しで連合国
側についた事も大きい。
元々はソ連は
ナチスと同軸で侵略
国家として
ナチスと連携してポー
ランドに
侵攻していた国家だ。
まさに火事場泥棒のように。
ソ連共産党国家はナチスと行動
形態において全くの同族であり、
実際にお仲間だった。

アメリカの参戦なくば、第二次
大戦は英国の敗北によりヨーロ
ッパ全土がナチズムとファシズム
の独裁国家となり、やがては
分捕り合戦でファシズム国家群
とネオファシズムの疑似社会主義
国家のソ連が揉めてソ連が負けて
世界がファシズム一色になって
いただろう。

そして、ムッソリーニは演説で
言って
いた。
「ドイツのナチズムと
イタリアの
ファシズムこそが
最も進んだ民主
主義体制である」
と。
ファシズムもナチズムも民主主義

体制こそが準備をする。
今の旧西側の疑似民主主義は本物
の疑似社会主義である旧ソ連の
体制や現今の中国北朝鮮の疑似
社会主義、疑似民主主義と結局は
同一線上の「まやかし」の道の
上にある事を見逃してはならない。
北朝鮮などは国名にも「民主主義」
を使用している。この欺瞞性。
日本も「民主主義」であるし、
現在の英米もフランスも「民主主義」
を表看板としている。
「民主主義」がまるで何かの免罪符
のように全世界で使用されている。
だが、どの国の国民も自国の言う
民主主義こそが真の民主主義で
あると信じて疑わない。
疑いを持つ事の自由をそこで既に
阻害しており、それこそが本物の
民主主義とは大きく乖離している
思想であるというのに。

第二次世界大戦の敵味方は非常に
複雑だったし、状況と時間により
敵と味方が錯綜した。
日本とソ連は不可侵条約を結んで
いたが、ソ連は日本の敗戦を見越
して終戦一週間前に日本軍に対して
攻撃を仕掛けて戦勝国としての
分捕りを目論んだ。
ソ連はイタリアとも1933年に友好
中立不可侵条約を結んでおり、
ナチスドイツのポーランド侵攻
の際には東からはソ連が侵略し
て、占領後にスターリンはナチス
ドイツ軍と握手を交わしている。
独ソ不可侵条約があったからこそ
ヒトラーはポーランド侵攻ができ
た。
まったく敵はどこの国が敵なのか
分からない。
日本は「この世の鬼畜」として
国民を洗脳教育していたアメリカ
を戦後には最大の同盟国とし、
アメリカナイズを国を挙げて
推進した。アメリカ的生活こそが
最先端の民主主義である、として。
やり方はムッソリーニと同じなの
だが、それはアメリカが静かに
強圧したものだ。
そして、日本はポチとなり、ここ
掘れワンワンを今も続けている。
世界最大の「一定期間ごとに戦争

をしないと成り立たない戦争産業
国家」であるアメリカのお先棒を
ハイハイと言って担いでいる。
実体は地球上最大のジャイアンの

手下の三下であるのに、それが
平和の使者であるかのような顔
をして。
米英人を「毛唐」と口汚くさげ
すむ
頭の弱い国士気取りの日本人
マックバーガーやベーコンを食べ
ながらもそういう米国を誹謗する
事を言って国粋主義者の愛国者
を気取る。ここにも大偽物がいる。
まるで「ご隠居。チャンスです」
と言う
うっかり八兵衛の間抜けな
様のように。


戦争というものは、敵を仮想して
攻撃をし、占領し、土地と工業と
農業と人と歴史を分捕り、言葉を
取り上げ、人の命を取り上げる
事だ。
そして、敵も味方も錯綜し、同国民
の中にさえ敵をあえて創作してそれ
らを虐殺することで国家統一を
為そうとする。
戦争での一番の表面的被害は人の
命が軽んじられて殺される事だが、
それよりも恐ろしいのは、そうした
戦争遂行を目的とする国家体制が
作られて、その体制によりありと
あらゆる人間の尊厳が踏みにじら
れる世の中になる事だ。
そして、その戦時体制は軍部等の
一部の者が独走して構築されるの
ではない。国民がそうした国にする
事を支持するからそうした国家が
出来上がるのだ。

今の現代。
今の時代は「戦後」ではなく「戦前」
なのだ。
このままでは日本はそういう国に
なる。確実に。
戦争映画を悲痛な平和への希望の
訴えの作品としては捉えられずに、
単なる猟奇的闘争本能を満足させる
為だけのカタルシスとしてしか観ら
れない人間が増えれば増えるほど、
そうした「戦前」の現在とその先の
未来は約束されている。

燃料が尽き、砲撃音と爆音とどろく
戦地ダンケルク上空を音もなく
滑空
するスピットファイア。
一つの深い意味の表現描写がここ

ある。



この記事についてブログを書く
« スタローンとバンデラス | トップ | スポーツにおける怪我 »