渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

出前バイクのスーパーカブでミニバイクレースに参戦してみた結果

2023年12月14日 | open

出前バイクのスーパーカブで
ミニバイクレースに参戦して
みた結果


このカブ、はっえぇえ~。
いや、カブが速いのではなく、
運転手が速いのだ。
一ノ瀬美由紀が惚れちゃう人
ね(笑

1983年。

今から40年前の名作金字塔劇画。
バリバリ伝説』第一話。






バリ伝の主人公グンが被っていた
ヘルメットは、連載当時に作品の
アドバイ
ザーだった講談社ベスト
バイク誌ライター
の押江氏(通称
オサ坊)のヘルメ
ットデザインが
ベースだった。

かつて、まだウィキペディアが
無かったころ、私がバリ伝につい
て本ウエブ日記で詳細に記載した
ら、それを読んだオサ坊本人から
メールをいただいた事がある。
曰く「ここまでバリ伝を正確に
記載した物は他に読んだことが
あり
ません。今後もバリ伝とオサ
をよろしく」との事だった。
掘り下げて考証したネット記事
など他にも無く、私
が連載当時
タイムリーにバリ伝を深く読み
込んだ事を
ベースに記憶の抽斗
から
引っ張り出したものを書い
ただけ
だったが、グンヘル本家
本元のご本人は、
それを読んで
感じ入るところが
あったようだ。
最初に「はじめまして」とあった
が、実は初めましてではなかった。
なぜなら、私は学生時代、一時期
短い期間ベストバイク編集部で
バイトして
いたからだ。直接お話
しはしなか
ったが、編集部で押江
さんをお見
かけした事があった。
私自身は、床で睡眠不足で死んだ
ように寝ているバイト人がゴロ
ゴロいる、近所の別マンションの
編集部屋の一室、通称「タコ部屋」
でのホントの切り貼り編集のバイト
だった(笑
地獄のような過酷なバイト先だっ
た。ここは漫画家のアシスタント
部屋か?みたいな。
デジタル機器が存在しない当時、
雑誌編集の物理的作業はすべて
手作業だった。画像もすべて
切り貼りでそれを写真撮影して
版を作る作業だった。

そして、その後、バリ伝作者の
しげの先生のチーフアシ(実際に
イニDからほとんどを作画するよ
うになった方)から私のウエブ
日記のファンだと連絡をもらい、
懇意にさせてもらうようになった。
バリ伝では世界戦に参加あたりから
しげの先生のスタッフになった
そうだ。
個人的趣味では木刀製作者として
名人級の腕前を持っており、作品
画像をいつも見せていただいた。
名品そのものだった。
ゴーストが連載発表前、連載開始
前の下書きもチラ見せしてもらっ
た事もある。私の非公開お宝画像
だ。

私に連絡をくださる歴史的功績を
残した著名な方々や今でもおつき
あいのある一般の方々は、とても
真摯な対応をなさる真面目で誠実
な紳士たちばかりだ。
一般人の中にはとんでもない族も
いたりもした事が何件もあったが、
当然、私個人は縁故は結ばない。
ヤマハXSR700の開発総責任者の方
が私に直に連絡をくれて開発秘話
を打ち明けられ、帰国の際には
大阪でお会いした時もそうだが、
著名な社会的功績を残した方々の
特徴としては、どなたもがもれな
く生真面目で誠実な方々ばかり
だ。
だから世に功績を残せるのだろう
と大変勉強になった。優性は社会
的にも濃い筋で社会生存性が高い
という人の世の定理を見る思いだ。
決して悪貨が良貨を駆逐する事は
真実としては無いのだ、という
天の理を見る思いがする。
人類史に悪が栄えたためし無し。
天は最初に原罪を犯してしまった
我々人間を常に見ているからだ。
原罪を持つ私たちヒトは、せめて
心は清浄でありたい。


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