渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

変な言葉 ~日本語の崩壊と変質~

2023年12月14日 | open



最近変な言葉が台頭し始めた。
元警察官や現役警察官で言う
人が多い。
それは、「ご安全を」「ご安全
に」という
言葉かけ。
これ、日本語としては非常に
おかしい。
言語学的解説は割愛するが、
「ご安全を」「ご安全に」は
日本語として
は間違いだ。
正しくは「安全運転を」だ。
もしくは「無事故で」。
あるいは「お気をつけて」だ。
安全に「ご」がつくのか、よ
日本語を言語として考えて
ほしい。
安全とは人の行為ではなく、

偶発もしくは意図的行為に
よって到来した物理的な状態
を指す。

安全という人的行為は存在し
ない
のだ。人のある行為によ
って得るもの(あるいは遠ざ
かるもの)が安全であり、それ
に「ご」をつけるのはかなり
日本語の使用法として誤謬が
存する。
「ご無事故で」という
言葉が
おかしい事を思い浮か
べてほ
しい。
「ご無事でしたか」は存在する

が、「ご安全でしたか」は存在
しないのである。
無事は人的態様を指し、それの

主体に対して敬語の「ご」を
つける。
「ご安心めされ」は正しい。

だが、「ご安全なされ」はおか
しいのである。
安全は主客において人的行為
指す単語ではないので、
それを
目指した主体に対して敬意表現
として「ご」をつけるならばと
もかく、安
全という未確定要素
の物理状態その
ものに「ご」を
つけるのは日本
語の敬語使用法
として完全におかしいのだ。

「安全確認はされましたか」と
敬語で表現するのは正しいが、
「ご安全になさりましたか」と
いう日本語は正しい国語の用法
としては存在しないので
ある。
詳細説明解説は言語学分野の
方に筆を譲る。
ただ、母国語の崩壊の現出が

著しくなってきている現況を
交通社会に今見出す事ができ
る。

若者言葉から日常語の崩壊が
進行するのは言語の常だが、
高齢層から言語崩れの言葉の
使用法が発生する傾向はかつて
ほんの10年程前までは存在し
なかった。

社会現象としては社会学的に
は面白い現象だ。

間違った言葉遣いがやがて
正しい母国語を簒奪するケー
スは多いが、間違いは間違い
だ。
世の中に多くある間違いの
筆頭は何だろうと俯瞰する
と、非常によく使われる間違
った日本語がある。口語では
なく告知文として。
それは「故障中」。
機械の故障は故障で状態が
停止しているのであり、動
態としてのingである「中」は
付かない。
正しくは「故障」である。
多くの世間の貼り紙でこの
間違いを目にする。

この点、かつての警察は正し
い日本語の使用法をしていた。
不法改造車両に貼るシールは
赤地に白抜きで「故障」とい
う物だった。
それがさぁ、貼ったら剥がす
のにはかなり大変な紙シール
だったのよ(笑
暴走族の集会で300台一斉検挙
の時とかは、全車にそれが
貼られたりした(笑
ハンドルをスワローにして
いただけでも「故障」。
クールスハンドルなども全て
「故障」。
セパハンなどは論外で「故障」。
天井カウルなどのチンドン屋
仕様は存在しなかったが、低
く決めたロケットカウルも
「故障」。
右下部後尾灯のホタルも「故障」。
集合管着けてたら即「故障」。
ミラー右だけだったら「故障」。
そして、警察官は平気で警棒
でバイクのタンクをぼっこぼこ
に叩いてへこましたりしていた。
走行中の二輪運転者にロング
警棒で胴体ぶっ叩きで転倒させ
るとか、左様な仕儀はごく普通
にやって
いた。
報道などされない現場の事態は
数えきれない程あった。
信じがたいだろうが、検問停止

場所の都内の住民たちがあまり
にもひどい警察官の暴力に対し
て抗議して暴走族の少年たちを
庇う行動も多くみられた。
警察官に叩きのめされた少年た
ちに声をかけたり介護したりす
る都内の幹線道路沿線住民は多
かった。

数百台の四輪・二輪の暴走行為
による騒音や交通占拠
の行為に
は迷惑していただろう
が、検挙
現場での圧倒的な官憲
の暴力を
前に、都内住民のおじ
さんや
おばさんたちは、むしろ
少年
たちに同情し、厚意をよせ

くれていた。
これは真実の歴
史だ。なぜなら、
私は実際に何
度も経験したから。
夜明け前の環七大森陸橋での数
百台一斉検挙現場で、近
隣住民
のおばちゃんが「お腹減っ
てな
い?」とおにぎりまで差し
入れ
てくれた事もあった。

正直、涙が出た。
完全停止で止められた修羅場跡
の書類書き待ちの環七路上脇で、
いっこ下だという見知らぬ後輩
と一緒におばちゃんにお礼
を言
って涙を拭いながらパク
ついた。
食ったら、余計涙が出た。
対交通機動隊行動では向こうも
こちらも血も涙も無いが、
おば
ちゃんの厚意には涙が出た。

「こういう事はもうやめなきゃ
なぁ」とも思い入った。
後にロードレース国際A級に

なった同級生もその時一緒に
検挙された。
これ1970年代当時のタイムリー
な実話だ。
ロックと仲間と土曜の夜の走り
を愛した都内に数万人いた暴走
族の少年たちの殆どは更生して
社会復帰して行ったが、ごくごく
ほんの数える程の一部は暴力団
や半グレの反社に流れて行った。
彼らは暴走行為を自己質性の発
現として「利用」していたのだ
ろう。













1983年。私の6学年、7学年下
の17才、16才の高校生たちの
時代でさえ「暴走族」に関して
はこのような感覚だった。
「社会悪」として蛇蝎のように
嫌われたのはずっと後の時代の
事だった。
これも社会現象としては歴史の
真実だ。
このバリ伝以降、BE-BOP や湘爆
も生まれたりした。
あいつとララバイはバリ伝と同
時期だが、主人公の研二君は違
法競争型の横浜の暴走族だ。
当時は、アイドル歌手でさえも
「スケ番刑事」に出演する程だ
った。あれは「スチュワーデス
物語」と同じく、非現実的空想
活劇だったが。
社会全体がある特定層に対して
排除意識をファシズムの全体主
義のように発動させるのは、今
世紀に入ってからだった。
これも歴史の真実だ。
そもそもバリ伝グンちゃんは、
共同危険型の暴走族ではないが、
違法競争型の暴走族である。
ララバイの研二君と同じ種族。
警察は共同型も競争型も類別は
しているが、どちらも「暴走族」
で一括りにしている。

1970年代の「集団型暴走族」に
対する警察官の行為が警察官職
務執行法に照らして正しいのか
どうかは別として、「故障」と
いう母国語の使用法は正しかっ
た。
それも一つの歴史である。


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