渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

岡山県と広島県は隣接しているが言葉がまるで違う

2021年10月21日 | open



広島県は西部に行けば行くほど
話し言葉の抑揚が強くなる。
岡山県は東京にイントネーション
と単語自体がかなり近い。
「~ねぇ(否定)」というのは
広島は使わない。岡山東京の
「知らねー」は広島では「知らん」
になる。岡山も「~らん(否定)」
の語尾変化はあるが、広島県とは
まったく使う場面や抑揚が異なる。

岡山の人が方言ではなく標準語を
話した時の言葉遣いはかなり東京
の言葉と抑揚に近い。
岡山方言だと日常会話では「ぼっけー
(凄い)」「でーれー(とても)」
「しねー(なさりなさい/丁寧語)」
「おえん(駄目)」の岡山オリジ
ナル単語が出てくる。
すると即岡山県と即分かってし
まう(笑)。
しかし、標準語を岡山県の人が話す
と、ほとんど東京の人の標準語と
変わらない。
広島県の人は標準語を話そうとして
も抑揚がまったく標準語の音階
移節を取れないので、たぶんだが、
大阪弁を話す人よりも標準語は
難しいと思われる。
言語学の世界では広島県は東京語
と同じ類型別に区分けされている
のだが、その学説にはかなり齟齬
があると私はみている。

「ネギラーメン」の抑揚は岡山も
東京も同じだが、広島県西部では

「ネ(_) ギ(_)  ラ( ̄) ァ(ー)
 メ(_) ン(_)」

となる。
マツダの抑揚は

「マ( ̄) ツ(-) ダ(_)」

が広島県の地言葉のイントネー
ションだ。
東京では「マ(-) ツ(-) ダ(-)」で
ある。
単語を標準語の全国版の単語を
使っていても、このイントネー
ションというのは地言葉から
抜けて全国標準語にするのは
かなり困難を伴うと思われる。

かといって、言葉は通じれば
いいんですけどね。日本全国で。
通じて意思疎通を図るのが人間
が持ちえた「言語」であるの
だから。
ただし、地言葉にこだわるその
こだわり方が意固地になって、
自分たちの狭いコミュニティ
だけでしか通じない言葉で
他者に接するのは、それは
失礼無礼の極み、己が大将に
なってしまう。
できるかぎり、公共放送や
他者への書き言葉や、初対面
の人には標準語を使う事が
望ましい。
そのため「サイタ サイタ 
サクラガ サイタ」を日本人
は全国言葉として標準語を
学校教育で教育を受けるの
だから。
「さくらばさいたっちゃけん
ねー」と言っても、それは
一部の地域のみで通じるので、
やはり人とのコミュニケーション
ツールとしては、日本国民
全員が受けた教育の標準語
を話すべきだ。
人と会話をして意思疎通を
したいのならば。

そして書き言葉だ。
メール等でも、方言は極力
使わないほうがいい。
無論、紙の手書き文章や印刷物
などで方言を使用したら実社会
では通じないし、仕事にはなら
ない。日本語の標準語を書き
言葉では国民万民が使って
いる。
統一された「国」としては、
それが標準だ。

方言は方言でローカルな言語
文化としてとても大切だが、
方言しか話せないというのは、
それは何のために学校教育を
国民教育としてしてきたのか
という事になる。
方言も話せて、国民万民が学校
で習った標準語もきちんと使え
るのが国民としては全国民的に
は良いだろう。
「どげんかせんといかん」の
政治家も、それは選挙での地元
インパクト用法であり、公の場
では標準語で公務に就いていた
筈だ。

最近気づくのが、東京方言での
女性の言葉が変わった。
「~わ」とか「~てよ」の女言葉
の方言を使う女性を見かけなく
なった。
私の時代までは、下町のねーちゃん
でも、丁寧に話すときは「知らない
わ」とか「それ、されてもよくって
よ」という東京言葉を使っていた。
無論「知らねーよ」なんて言葉は
使う女性はツッパリねーちゃん
だけだった。
こうした変化は地方でもみられる。
広島県などは、幼稚園児でも男子
は自分の事を「わし」と言って
いた(今の45歳前後の世代まで)。
それが今は東京弁の「俺」になって
いる。
また、東京弁の末尾の「~さ」は
1980年代90年代の20代は大阪
では絶対に使わなかったが、現代
では大阪人の漫才師さえも「さ」
を使う。
それと横浜方言の「じゃん」が
なんだか全国区になっている。

かつて1972年、横浜から埼玉県
大宮市(現さいたま市)に転校
した私は、小学校の自己紹介の
時に「ご想像にお任せします」
と言った事とその後の会話で
「じゃん」を多用して使っていた
事を大宮のクラスの子にいじら
れた。
「ご想像にお任せしますなんて
すかしてんな~」というのと
「じゃんじゃん言ってる~(笑)」
というように。
「すかしてる」という言葉は
初めてその時知った。
逆に「じゃん」は大宮市の小学生
にとっては初耳だったらしい。
「ご想像に」のくだりは、
黒板の前で先生から転校生の
紹介と初めての自己紹介挨拶の
時の質問で「このクラスでどの
女の子がかわいいと感じました
か」という質問が来たので答えた
のがそれだった。
埼玉県大宮市、横浜市よりも
小学生は積極的だった(笑)
横浜は男女同じというか、
男も女も互いに親友のような
フランクな雰囲気の土地柄だっ
たが、埼玉県は「男と女」と
いうのがきっぱりとあって、
文化の違いを小学生ながら
感じた。
それでも学級会の時に「男子が
悪いと思います!」という女子
がいるのは、神奈川も埼玉も同じ
だった。
私は小3から小5まで神奈川では
毎年学級委員だったが、父の転勤
で転校した小6の大宮では新参
で文化も違うので選挙で推薦を
受けても辞退したのだが、小6の
時も3学期のうち2学期だけは
努めた。(昔は3学期制だった)

政治的課題についての先見性に
おいては、横浜も大宮の小学生
も、極めて社会を見つめていた。
これは、地域性ではなく時代性
だろう。
小学生であっても、世間の政治
や時事問題には大いに目を向け
ていて、社会から隔離した存在
に自分を置こうとはしなかった。
かなり離れていても神奈川と
埼玉南部は人の中身は同じだっ
た。
違ったのは言葉だけだ。
人の質性はよく似ている。
底意地の悪いのがほぼいない。
ろくでもない事をしたら、それ
は教師がきっちりと社会性の
観点から指導をした。
「みんなで考えてみんなで
解決する」という事を横浜でも
大宮でも小学校においてやって
いた。極めて民主主義的。
これももしかすると時代性なの
かも知れないが。首都圏はそう
だった。

関西近畿中国四国九州という
西日本の学校には小学校~大学
まで一切通った事が無いので
実態は私には分からない。
ただ、高3の夏休みに夏季講習
で広島県福山市の予備校に行った
事がある。
生徒も講師もめちゃくちゃだった。
いろいろな高校からの受講者の
夏季進学特別講習だったが、
受講している特定生徒を指して、
高校を尋ね、「あんたはええ学校
行っとるけえようできるじゃろ」
と言う。授業中に。講師が。
そして、明らかな依怙贔屓と
差別的な態度を教壇で見せて
いた。「どこどこあたりの連中は
つまらん(ろくでもない)もん
しかおらん」とまで教室で言う。
耳と目を疑ったが、それが現実
の事実だ。こちとら、その場に
いたのだから。
なんだここ?とちとカルチャー
ショック。
たぶん、そうした感覚が広島県
では「普通」なのだろうと察した。
それが1978年8月の夏だ。
あと、授業中に屯して私語で騒い
でる3人がいたので、東京弁で
「うるせえんだよ、てめえら。
いい加減にしろい!」と怒鳴っ
たら一瞬で水を打ったように
黙った。
あれは多分、聞きなれない言葉
だったからだろう。
何も注意しない講師も講師だとは
思ったが、ここは学校じゃねえん
だよな、進学講義受けに来てん
だよ、何とかしろよ、とは思った。
うちの中学や高校だと教壇から
チョーク飛んで来るか教師にぶん
殴られるかしてたけど、そうした
事は広島県では御法度だという
のは数十年後に知った。

しかし、「所変われば人変わる」
というのを初めて体験したのは
よい経験だった。
体験から経験への昇華を感じた。
その後、全くそれが活きてない
けどね。


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