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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

転ばない人たち

2025年07月03日 | open



モーターサイクルの運転に
ついて、私は「転ばない人
たち」というのを何人か知
っている。
その中には直立コーナリン
グの人もいれば、ギュイギ
ュイに走らせる人もいる。
いずれの人たちもどちらも
決して「下
手」だったり、
向こう見ずな「無謀」だっ
りというのではない。
どちらもとても
運転は「上
手い」のだ。

直立コーナリングの人たち
は、まるで重機関車のよう
などっしりとした安定感を
見せながらビタリとぶれず
に進んで行く。高速道でも
一般道でも。

また、ギュイギュイ系の人
たちはヒラヒラギューンを
繰り返しながらも決して転
ばない。
両者に共通する技術的な面
は、おぼつかない操作では
なく、適切な操作を的確に
円滑に実行している点だ。
下手な人はライディングそ
のものがおぼつかなく、そ
れは観れば即判明する。10
秒もかからずに。

「転ばない人」たちについ
ては、私はある一つの共通
項を看取している。
それは技術的な小手先のテ
クニックや曖昧模糊とした
観念的な精神論
的な面(思
惟は各個人の持ち物なので、
これは他人は測り
知れない
が)でもなく、現実に見

れる物理的な現象として。

それが「転ばない」事に大
きく寄与しているのが二輪
走行理論
的に私には解る。

さて、それは一体なんでしょ

うか。
気づいたら、貴方もこの先
オートバイをどれほど走ら
せても「転
ばない人」にな
ります。

これ、確実に。
スピード出さないとか、安
運転に気を付けていると
か、
そういう単純些末な事
じゃないよ。

もっと深いとこ。
気づけば、「あ!」となるよ
うな。

ただ、これは人が人に教える
ような事でもありません。
自分で気づく事です。
自分の力で、人と自分を見て。
気づいて、さらに会得する為
に「考えながら乗る」ように
すれば、どんどんそれが磨か
れる。
まず、気づかないと始まりま
せん。
別段、秘密事項でも秘伝でも
何でもないのですが、言葉に
して言っても字面では理解は
できた事にはならないので、
自分で「あ、これか」と気づ
かない限り、実態も実効性も
無いシロモノです。

それは実は日本刀の刀術の要
諦に似ている。
ある事に気づくと、刃筋立ち
まくりで試斬も居合も
スッパ
スパの切れ切れ。抜刀斬りも
納刀
も極めて円滑で美しく、
かつ実
用性に富んでいる剣技
が実現できる。
気づくと自分は刀術者という

ひとかどの術者になっている。
でも、これは、例え優れた師
匠から手ほどきを受けてもダ
メで、自分で開眼しないとも
のにはなりません。

 
 
 
 
 


  

 


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