渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ウイリー

2024年04月18日 | open



ありがち(笑
ネタ作りが上手い。

1986年の富士スーパースプ
リントロードレースは世界の
チャンピオンクラスのGPライ
ダーが大勢参加した大イベン
トレースだった。
その後の日本での世界GP開催
の前哨戦のような一大レース。
GP500クラスの第2ヒート後、
クールダウンラップ走行で
アメリカのランディ・マモラ
選手は、ヘアピン立ち上がり
からずっと姿が見えなくなる
までウイリーで走行した。
ファンサービスだ。場内は大
歓声で沸いた。
それを見た1982年全日本チャ
ンピオンだったスズキの水谷
選手は、ヘアピン立ち上がり
でウィッウィッと5センチだ
けのリフトアップを見せてい
た。
これまた大爆笑で観客を沸か
せた。
この第1回富士スーパースプリ
ントでは、GP250クラスでは
国際A級一年目のプライベー
ター19才の本間利彦選手が
世界チャンピオンたちを後ろ
に従えて第1ヒートで優勝した。
総合は5位。

ノービス時代に日本チャンピ
オンになったが、国際A級の
初年度は全く勝てなかった。
それがポイント外のイベント
国際レースでいきなり優勝し
た。完全なプライベーターで、
マシンの整備も全て自分でや
っていた。
翌年から本間選手はヤマハの
ワークスライダーに抜擢され
た。1988年には日本チャンピ
オンになっている。
私は本間選手の走りと世界GP

ライダーの走りを食い入るよ
うにFISCOの各コーナーで見学
した。

得る物は多かった。自分が実
行できるかどうかは別として。
判って、分かり、解る事が多
すぎたレースだった。多くの
発見を得た。旋回操作におい
て特に数えきれない情報を目

視により現認できた。

ウイリーに関しては、ヤマハ
ワークスライダーだった全日
本3年連続GP500クラスチャン
ピオンの平忠彦選手が、1982
年のプライベーターだった頃
に歴史的映画『汚れた英雄』
吹き替えライダーに抜擢され
た時に面白いエピソードがある。

映画撮影では主人公のマシン
もレーシング
ウエアもヘルメ
ットも平選手
のデザインでツ
ナギの名前だ
けをKITANOと変
更した物が
使われた。
そして走行時の顔のアップと
マシンを降りた時の主人公の
北野晶夫は
草刈正雄が演じた。
最後のレースで北野晶夫が優勝
して、SUGOの直線でウイリー
するシーンがある。
あれは、平選手がウイリーが
出来ないので、ヤマハの別な人
(たぶん浅見さんか)が
吹き替
えの吹き替えで演じた。

フロントをリフトさせて、一旦
下がりかけたのをまた高く上げ
るウイリーだった。無論、時速
3桁km/h台でのウイリー。

なお、1976年1977年WGP世界
チャンピオンのイギリスのバリ
ーシーンは、スタートダッシュ
で前輪をリフトさせて真っ先に
1コーナーに向かったが、あれ
はウイリーとは呼んでいなか
った。バリーのみ「ワンホイー
ルスタート」と1977年当時は
呼ばれていた。


1988年イギリスグランプリ。
ケヴィン・シュワンツのスズ
キワークスマシンを「ちょっと
乗らせろよ」と普段着のまま
乗ってコースを走るバリー・
シーン。珍しいショットだ。




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