ミラーマン 1971
Pilot Film HDTV 1080p
1971年円谷プロ作品「ミラーマン」
の貴重なパイロットフィルム。
配役は本編ではがらりと変更となり、
柴俊夫はライバル番組「シルバー
仮面」の主人公役を演じる事に
なった。
このパイロットフィルムの配役で
本編が作られる事はなかった。
いわば、これはお蔵入りの映像。
本編のミラーマンは1971年12月から
毎週日曜19時-19時半のゴールデン
タイムにフジテレビ(8チャンネル)
で放送された。
この時間帯はテレビ局各局が鎬を
削る視聴率合戦の時間帯で、TBS
(6チャンネル)では「シルバー
仮面」が放送されていた。
毎週土曜日の19:30~20:00は
NET(10チャンネル)でのちに超
お化け番組となる「仮面ライダー」
(1971年4月~1973年10月)が
放送されていた。
首都圏のテレビ放送局は、
1ch NHK(日本放送協会)
3ch NHK教育放送
4ch NTV(日本テレビ)
6ch TBS(東京放送)
8ch フジテレビ
10ch NET(テレビ朝日)
12ch 東京12チャンネル
の7局だった。
NHK以外はすべて民放になる。
調べてみると、日テレは日本初の
テレビ局で設立は国営公共放送の
NHKより早い。米国のてこ入れで
正力松太郎が創設した。
TBSは東京ブロードキャスティング
システムの略で日本で二番目の
TV放送局だ。
フジテレビはフジ産経新聞社系。
テレ朝は東映、日本経済新聞→
朝日新聞系。
東京12チャンネルは日本科学技術
新興財団系で、米軍のレーダー
周波数を受け継いだ。
首都圏では、高度経済成長期には
子どもたちは主として民放5局の
番組に見入っていた。
子どもがNHKを見るのは、相撲
中継くらいだったか。
そして1971年前後のテレビ番組は
変身物特撮ヒーロードラマが百花
繚乱の時代だった。
その中でも特筆的に石ノ森章太郎
原作の「仮面ライダー」が超絶
大爆発ヒットとなった(1971~)。
当時の多くいた変身ヒーロー物では
仮面ライダーのみが50年後の現在
でも作品として後継策が継続製作
されている。
これ、ギネス記録になるので
は(笑
本「ミラーマン」の予告編のみであ
るパイロット版では、ヒロイン役
に16才の南沙織が出ている。
可憐な高校生役だ。
1971年。沖縄返還前。今から50年
前の映像だ。
本土に復帰する前の1971年春に
南沙織は沖縄から本土に母と共
に来ていた。
当時沖縄は米軍占領下であり、
道路は右側通行でドルが通貨。
当然、日本本土から自由に往来
などはできなかった。
1971年時点では沖縄全体が実質的
な米国領となっていたのだ。
高校生の南沙織がかわいい。
7月生まれだから、この71年放送
前のパイロット版製作のこの映像
の時点ではまだ16才の筈だ。
もしかすると、映像の樹木の様子
からして12月放送に向けた夏過ぎ
の撮影かもしれない。
そうなると彼女は17才の高校2年
になる。
その後彼女は上智大学を卒業する。
歌手としては1970年代初期に不動
のポジションを築いた人だった。
多くの男性ミュージシャンたちが
彼女シンシア(本名のクリスチャン
ネーム)に憧れた。
吉田拓郎もかまやつもその他多く
が。
それだけ彼女は人としても魅力的
だった。
媚びない、ぶらない、だけど清潔
な心根を覗かせて自然体で生きる。
当時はそういうタイプの芸能人は
いなかった。ほぼすべてが打算
計算ずくで商業音楽をやっていた。
日本国内に新しい涼やかな風を吹か
せたそういう彼女に多くの人が惹か
れた。
その後の多くの沖縄出身の芸能人の
さきがけが彼女だった。
南沙織、歌がとてもいい。
うたい方、世界観の表現が。
私にとっては、南沙織は一つの
絶対的不可侵領域。
この曲はジャニス・イアンがシン
シアに書いた曲。それに松本隆が
日本語の歌詞をつけてシンシア
自身が手を加えた。ジャニスも
シンシアの歌い方を称賛していた。
南沙織 - 哀しい妖精 - 1976