渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

目黒川

2021年12月29日 | open


目黒川。
この川の横を走る山手通りにある
病院で私は生まれた。
父がいて母がいる。
だからこの世に生まれた。
これの意味は大きい。


綺麗に見えるがどぶ川。
落ちたら死にますよ、程の。




中目黒のあたりは狭い運河みたいだ。


これは昭和初期の目黒川。


世の中に汚染も公害も無かった頃。
一部足尾銅山や水俣の慢性的公害
はあったが、公害が全国で深刻に
なったのは戦後の高度経済成長に
よるものだった。
小学生時代には横浜では光化学
スモッグ警報が出ると、空襲の
ように避難して屋内で待機した。

戦前は都内も全国どこも川は綺麗
で、目黒川でも染め物の晒し洗い
をやったりする程に清流だった。
なんたって、サンマが海から遡上
して目黒で獲れるくらいなもん
でして、ええ(笑

これは戦後昭和30年代の目黒辺り。
鎗ヶ崎から中目黒方面。
各方面から来る路面電車は中目黒
が終点だった。路面電車は基本的
に旧江戸府内を縦横無尽に敷設さ
れていた。江戸の果てが電車の
果て。電車は明治時代に開通した。


現在。


中目黒近辺は戦前から山手側は
御屋敷街だったが、目黒川沿い
は下町のように小さな工場が並
ぶ工業エリアだった。
今の山手通りの両脇にはずらっと
小規模な金属加工工場と商業店舗
が並んでいた。これは昭和40年頃
まで、中目黒はそうした景色だ
った。今は工業施設や企業の多く
は埼玉や神奈川の奥地に移転して
いる。


目黒川沿いは昔から桜の名所でも
あるが、落ちたら死ぬぞ的などぶ川
なのに、最近では桜見物クルーズ
があるらしい。


広島市内にも水上クルーズがあるが、
それはサツキマスも遡上する清らか
な広島市の市街地の川での事。
こちらのわが目黒川はまるでどぶ川
運河である。浴びた水飲んだら死ぬ
だど。


夜景とかは綺麗なんだけどねえ。

都内の川では、渋谷川というのが
あったが、暗渠になっている。
渋谷駅前から原宿を流れて、古川橋
の旧大名屋敷街あたりに注ぐ。
途中から渋谷川(しば川)は古川と
名を変え、麻布の赤羽橋を抜けて
江戸湾に出た。
麻布赤羽橋は、幕末に清河八郎が
幕臣佐々木只三郎に斬殺された
あたり。

清河は斬られて当然の事をして
いた。
幕府が将軍上洛に向けて京都警護
の為に募った浪士隊を丸ごと乗っ
取って倒幕のテロリスト部隊にし
ようと京都まで行ってから下知を
勝手に出した。幕府役人は仰天し
て即、浪士隊を江戸まで戻らさせ
た。
その時に、京都に残って天皇と
将軍を警護し、京都の治安維持
にあたろうとしたのが新選組だ。
その壬生駐屯の浪士隊は京都守護
職松平中将の御預かり組となった。
会津藩に元々あった藩兵部隊の
名を取って新選組と名乗った。

清河は新政府成立後には勲功の人
として従四位が贈されているが、
幕末江戸期には、今で言うなら、
清河は過激派テロリストである。
連合赤軍や丸ノ内企業爆破のグル
ープ反日武装戦線「大地の牙」
や「狼」と全く同じなのだ。時代
の中にあっては。
まあ、もっとも、京都を火の海に
して京の民を虐殺し、混乱に乗じ
て天皇を拉致して世の中を牛耳ろ
うとしていた勢力が武力で明治新
政府をでっち上げで作った。捏造
した錦旗を使って。
そうしてやった事を正義として今
でも日本の教科書では国民を洗脳
教育している。
勝てば官軍。何でもアリだ。
幕末の倒幕派は人道も武士道も無視
したテロリストであり、英国公使館
(大使館)焼き討ちなどもしている。
また、戦争では武士としての作法
も精神も捨てて、私利私欲で敗残
の兵に対して非人道的、非武士道
的な措置を実行していた。
近藤勇への切腹ではない斬首など
はその典型例だろう。
今の日本国は、その幕末の無慈悲
なテロリストたちの末裔が牛耳っ
ているのが事実だ。
戦前などはもっと洗脳教育はひど
くて、新選組や足利尊氏などは
国賊として洗脳教育していた。
また、旧幕府側の藩=県の部隊は
明治から昭和20年までの各戦争に
おいても、危険度が高い戦線に
まず投入された。東北や越後の
人々は差別され、死んでこいの
方式で真っ先に投入された。
それが大日本の「聖戦」の姿で
あった。
幕末の非道なテロリストの末が
やりそうな事だ。
国権を私して人々を苦しめ国を
牛耳る族を亡国の徒と呼ばずし
て誰を呼ぶ。彼らこそ国賊であ
る。
そして、彼らは多くの日本人民
を死に至らしめた。
ある日突然、赤い紙切れ一枚で
家族を引き裂き、死を強制した。
幼い私の母と母の妹は、「おとう
ちゃん、行かないで、行かないで」
と泣いてすがったが、祖父は
「お国の為」と振り払い出征した。
そして南方戦線で米軍機の機銃
掃射で「名誉の戦死」をした。
祖国の家族のもとに届いたのは
戦死の知らせと勲章一つだった。
そして、母と母の妹はててなしご
として育ち、戦争には行かなくて
済ます事ができた特定の層から見
下される子ども時代を祖母と共に
ひっそりと過ごした。
好きでててなしごになったのでは
ない。国がそれを強制したのだ。
そして、「名誉の戦死」をした者
の家族を戦争に行かなかった戦わ
ない奴らがあざ笑った。
祖父の戦死の知らせが来た時、
子どもたちの前では平静を装って
いた祖母が、一人奥の部屋で嗚咽
を押し殺すように泣き崩れている
のを母は鮮明に覚えていると言う。
泣くことさえも許されない世の中
にされていたのだった。

日本の主権を握る幕末過激派の
末裔たちの作ってきた日本は、
ちっとも美しい日本ではない。
それをさらに取り戻そうとする
なんて、なにをするのよ。それ。

渋谷川のルート。




渋谷川の暗渠部分には原宿キャット
ストリートと呼ばれるエリアもある。


50年ほど完全暗渠だったが、2014
年に枯渇した渋谷川を掘り起こして
復活させようというプロジェクト
が実行された。


パリをイメージさせたいのか。


しかし、河川復活でどんなに活性
化させようとも、それが人為的な
掘割であるならば川とはいえない。
これが川と呼べるのかどうか。
こらまた落ちたら死ぬよ系だが、
目黒川はまだ目黒川として汚れた
川でも川は川だ。
しかし、渋谷川は暗渠後に完全に
水が途絶えて死滅した。
それの復活って・・・。
なーんか何かが違う感じがする。



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