渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ドラマ『茜さんのお弁当』(1981)

2024年05月11日 | open

茜さんのお弁当 Akane san no Obento 01


TBS系列で放送。
1981年10月21日 - 12月30日。
私がRZ350を買った頃に放送
が開始された。
毎週観てた(笑

八千草薫さんを1968年小2の
夏に東海道新幹線の中で観た。
車両内には私とイトコ姉弟と
八千草さんしかいなかった。
東京から京都までの間、八千
草さんは旅行パンフレットを
読んでいた。
車掌さんに「冷房が強すぎる」
と言ってた。

八千草さんは京都で下りた。
白いジャケットに白いミニ。
下りた時、サングラスをかけ
てホームから私たち
にバイバ
イと笑顔で手を振っ
た。
めちゃくちゃ美人だった。
透明感が漂う人。
というか人間離れした女優
オーラ。透明感漂うのに目
に見えない透き通るオーラ
に包まれていた。

「ああ。女優さんてこういう
人なのか」と幼いながらも
思った。強烈な印象だった。

『茜さんのお弁当』の時は八
千草さんは50歳。
パッソルのCMの時は46歳。
私たちが見かけた時は37歳だ
った。
この人、50歳を過ぎてもあま
り20代と雰囲気変わらない感
じだった人

女優マジック。宝塚マジック。




【新企画 思い出の地を巡る】
新企画1回目はTBSドラマ
『茜さんのお弁当』にご出演
されていた嶋 大輔さんとドラマ
のロケ地『面影橋』周辺を巡り
ます。

『茜さんのお弁当』ここでしか
聞けない当時の思い出話は必聴!!

新宿区の神田川にかかる面影
橋は、私が住んでいた所から
ほど近い場所にある。
この周辺の神田川がかぐや姫
の名曲「神田川」の舞台だ。
早大出身の喜多條忠さんの作
詞。実体験の実話を描いた
歌詞だった。

嶋大輔さんは『茜さんのお弁
当』の時の撮影時を振り返っ
て八千草薫さんの事を「まだ
40代前半でキュートだった」
と語っているが、それは彼の
勘違い。八千草さんが若い
雰囲気だったので間違った
のだろう。
撮影時の1981年は八千草さん
は50歳だった。1931年1月生
まれなので。
私が新幹線車内で見かけた時
に既に37歳だったが、20代前
半にしか見えなかった。
女優マジック、タカラジェンヌ
マジックに嶋大輔さんもやら
れた口だろう。

1977年のヤマハパッソルの
CMの時に八千草薫さんは既
に46歳だが、こんな46歳いる
の?という感じだった。
まあ、一般的にはいないのだ
けどさ(笑
女優さんたちは女性ではなく
「女優」という生き物だから。

私が1968年にお見かけした時
の少し前の頃。


1954年。23歳。


1970年代後半のヤマハのスク
ーター、パッソルのCMの頃。
八千草薫さん40代後半。
めちゃくちゃ可愛い。


1985年。54歳の時。


一つの定理これあり。
美人は幼い時から亡くなる
まで美人。
ただ、それは外見上の容姿
ではない。
内面からあふれ出るものが
「美人」というものを構成
している。
見た目が美形な人は女優で
も一般女性でも大勢いるが、
そこを間違うと、外面の表
層のみ「美形」なだけで、
「美人」とはならない。
単なる見てくれだけの性格
ブスになる。
ここ、結構重要なのだが、世
の中勘違いしている女は多い。
まあ、その勘違いを吞み込ん
でまで女性と接するのが男の
器量なのだろうが。

『茜さんのお弁当』は、1970
年代の暴走族の集会で機動隊
にボコボコにやられた後の夜
明け前に、検問停止場所付近
の住民のおばちゃんが差し入
れで俺らにくれたおにぎりの
味のように本当に心に刺さる
ドラマだった。
「良い作品」というのは、この
ドラマのような映像作品の事
だろう。
嶋大輔さんは、『茜さんのお
弁当』の撮影終了後の八千草
薫さんの言葉によって今があ
ると動画で語る。
八千草薫さんは茜さんそのも
のだったのだ。役ではなく、
あのドラマの茜さんは八千草
さんそのものだったのである。

おばちゃんに差し入れされた
おにぎりを食ったいっこ下の
後輩は涙をボロボロと流して
おにぎりをパクついていた。
俺も涙ぐみながら食った。
「人は何が大切で、何が必要
なのか」
おばちゃんのおにぎりは教え
てくれた。
それは、まさにその後TV放送
されたドラマ作品『茜さんの
お弁当』そのものだった。
 

 
 

 
 

 

 

  

 

 


 





 


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