『アウトロー』(1976年)
原題「アウトロー ジョシー・
ウエルズ ...一人の軍隊」。
南北戦争で南軍の敗北が決定的に
なった頃。
北軍の非道なゲリラ部隊に妻と子
を殺されたウエルズは、南軍ゲリラ
となって北軍と戦うが、降伏した
南軍部隊のリーダーは北軍側と
なりウエルズ殺害のために捜索隊
に加わる。
ウエルズはコマンチ族との争闘を
避けて単独和解し、そして北軍とも
元南軍とも対決する事を決意する。
そうした中、ひょんな事から懇意
になったチェロキー族の老人と
別な部族で白人に虐待されていた
インディアンの女性を助ける。
そして、移民の為に旅をしていた
白人母子とも知り合い、移転先の
美しい土地で家族のような暮らし
をするようになっていた。
夫と息子を殺された母は「ここは
みんなの家だ」と言い、さびれた
町の住人たちも何人か歓迎して
暖かい空間を作ろうとしていた。
そこに、ウエルズを追う北軍の
ゲリラ部隊が襲って来た。
この映画はクリント・イースト
ウッドの監督・主演の1976年作品
だが、1992年のアカデミー賞作品
の『許されざる者』の伏線映画の
ような作り込みになっている。
主人公のキャラクターやカットが
この『アウトロー』を下地として
『許されざる者』では練り直され
た事が見て取れる。
また、別人ながら出演者も似てい
る。
『許されざる者』で出て来たキッド
の役によく似た俳優が出てくる。
「死にたくない」という台詞も
同じだ。
『許されざる者』のスコフィールド・
キッド
『アウトロー』で主人公ウエルズと
行動を共にする兵士。
全く別人だが、風貌が似ている。
この時のイーストウッドは46才。
『許されざる者』の脚本原作は早い
時期にイーストウッドは購入して
権利を得ていたが、自分が主人公
ウィリアム・マニーの年齢になる
まで温めていたそうだ。
超長期計画で『許されざる者』は
製作された。
『アウトロー』での主人公ジョシー。
妻子を殺され、復讐のために銃の
練習をする。
『許されざる者』(1992)での主人公
ウィリアム・マニー。
アウトローだった過去を捨て、妻子と
暮らしていたが、妻に先立たれる。
賞金稼ぎとなり幼い息子と娘に金を
作ろうと何年ぶりかに銃の練習をする。
『アウトロー』では、時代考証に
こだわったイーストウッドが使う
銃は極めてリアルだ。
コルトアーミー1860コンバージョン。
リチャード・メイソン(メイスン)
の改造作で、パーカッション式を
カートリッヂ式に改造してある。
こうしたコンバージョンのコルト
が実は西部開拓時代には非常に
多く使われ、こうしたモデルこそ
が一般的に普及していた。
カートリッヂの特許はS&W社が
押さえていたので、それが切れる
1871年までは各社はカート式の
拳銃を作れなかった。
ウィンチェスターライフルは別で
ロイヤリティにより1866年時点
でヘンリーライフルを発展させた
名銃イエローボーイを登場させ
普及させた。
それの完成版が1873年に登場させ
たM1873で、これは同年に米軍に
採用されたコルトSAAの44-40と
共通弾丸が使用できたので、SAA
と共に「西部を征服した銃」とも
呼ばれる。
だが、真鍮外装のイエローボーイ
がリムファイア弾だったために
弾薬縦ならべ押し込みでも問題が
無かったのに対し、M73はセンター
ファイア弾だったため、暴発帽子
から弾頭を平にカットした弾丸
しか使えなかった。長距離射撃
には向かない。
そもそも、強度的に拳銃弾と同じ
弾薬しか使用できないので、厳密
には遠距離射撃の「ライフル」と
は呼べない。
だが、拳銃と同じ弾が使える事は
西部開拓時代にはその利便性から
革命的な事であり、大普及した。
そして、SAA俗称ピースメーカー
は、実は.45弾よりも.44口径40グレ
イン弾のタイプのほうが普及して
いた。
SAAというと強力な.45コルト弾
用が有名だが、SAAの口径は多く
の種類があり、利便性では44-40
弾の「フロンティア・シックス・
シューター」こそが西部の人たち
にとっては「日常性」をもたらして
いた。
しかし、SAAが完全普及するのは
1880年代後半以降だ。
西部劇にはやたらとSAAが登場する
が、一般民間販売がされたのは
1875年以降であり、様々な銃身長
と口径のバージョンが普及したの
も1880年代に入ってからだ。
多くはパーカッションリボルバー
そのものや、カート式に改造され
たコンバージョンモデルが実際の
歴史では使用されていた。
そして、真のレバーアクションの
ライフル弾専用ウィンチェスター
は1894年登場の物からだ。
これの完成度は高く、多くの西部劇
ではM1894がさも1873年モデルで
あるかのように使われている。形
がそっくりだから。
西部劇で使われるSAAが実は1896年
以降のタイプばかりであるのも、
同様の理由であり、生産量の多さ
と、貴重な黒色火薬時代の古式銃
のSAAを映画撮影で消耗させられ
ないからだ。
イタリアや米国内のサードパーティー
の銃器会社が精巧なレプリカの実銃
で黒色火薬時代のSAAコピーを作る
ようになった1990年代以降、西部劇
に本当の意味でのリアルな銃器が
多く登場するようになった。
クリント・イーストウッドは遥か
それ以前に、アメリカの歴史を正し
く描こうとして銃器の時代考証に
着目していた稀有なハリウッド人
だった。
共和党員でありながらも、彼が作る
映画が南部の軍人に心を寄せる作風
であったり、アメリカンインディ
アンとの和平を望む作調であったり
するのは、彼の魂のありかがそう
した作品を作らしめるからだろう。
日本のように「明治維新の官軍は
全て正義」とするような偏った
思想性はクリント作品には一切
無い。
だから良い。作品も良作が誕生
する。
坂本龍馬が寺田屋で幕吏を射殺
したS&Wの拳銃はカート式だ。
龍馬は寺田屋内の近接戦闘の際中
に弾丸を装填しようとして、手を
斬られて重傷を負い、銃のシリン
ダーを転がり落としてしまって
いる。それは後日の龍馬自身の
手紙により輪胴が血で滑って
転がってしまって射撃不能に
なった、と書かれている。
この時の龍馬の銃は高杉晋作が
上海で購入して来たS&Wだが
その後また高杉から今度は
小型の.22口径の同じような形
のS&Wをまた貰っている。
新婚旅行(日本人初)で薩摩
に行った時に桜島で妻りょう
と射撃して遊んだ(プリンキ
ング)のはその.22口径だろう。
現在行方不明。
実存とされる「龍馬の銃」の
来歴は俄かには措信し難い。
というか、展示されていた
「龍馬の銃」とされた高知に
あった実銃は銃刀法違反で
確か検挙没収されたと記憶し
ている。
アウトローではコンバージョン
以外にもパーカッションモデル
も多く出てくる。
ジョシーは左胸には.31口径の
コルトポケットもサイドホルス
ターに入れて左わき下に隠し持つ。
銃を何丁も持つのは当時の常識で、
カートですぐに装填ができない
ため、6連発を何丁も持つのだ。
『アウトロー』(1976)のジョシー
は5丁持っている。
『許されざる者』(1992)でも、大雨の
日に町に着いたマニーは悪徳保安官に
職質される。
その時に彼が言う台詞が「銃は持って
いない。雨で火薬が濡れるから」と
いう物だが、これもかなりリアルだ。
カートリッヂ式ではない黒色火薬
の銃は、シリンダーに黒色火薬の
粉末を注ぎ、弾丸を銃のロッドで
押し込み、グリスのようなワックス
で落ちないように手でシリンダー
の先に縫っていた。そしてシリンダー
の後ろ側に雷管キャップを詰めて
いる。雨が降って濡れたら発火不能。
カートリッヂ式がそれを消滅させた
ので、人類の歴史の中で銃器の
カートリッヂ発明は歴史を変えた
といえる。
カート式の銃器は現在でも第一線で
銃に不可欠な物として存在して
いる。
要するに、カートが発明実用化
されるまでは、火縄銃と同じ原理
の銃しか地球上には存在しなかった
のである。
ショットガンの弾丸はシェルと
呼ぶが、ライフルやピストルの
カートリッヂと同じ原理で作ら
れている。
これも最初は別々に散弾と弾薬
とフリント機構を持った物だった
が、シェルの発明により激変した。
散弾銃は現在もショットシェルが
使用されている。
『許されざる者』(1992)での
主人公マニー。
このショットガンは「コーチガン」
と呼ばれるコーチ(駅馬車の御者)
用で、駅馬車強盗に対する対人用
として存在した。
線条弾頭の一粒弾を装填する場合
もあり、その際にはショットガン
であってもライフルとも呼ばれた。
弾丸にライフリングがあるから。
その場合には、銃身は鳥撃ち用
のチョークのある物ではなく
単なる筒のスムーズボアだ。
散弾銃を対人用に使うというのは、
ランチャーを対人用に使うのに
等しく、度外れた武器使用法と
いえる。
9粒弾などを対人に使うと、胴体
などは扇風機の回転部分程の
大穴が開いて胴体が千切れ飛ぶ。
さらにこのコーチガンでもそう
だが、銃身を短くすると近距離で
弾丸が広がるため、各国で所持
禁止となっている。
猟銃ではなく、明らかな対人近接
兵器だからだ。
『アウトロー』(1976)は、この
作品のみでも名作だが、『許され
ざる者』(1992)を知ってから
再度鑑賞すると、かなり味わい深い
ものがある。
どちらの作についても、ダブルで
両方観る事オススメ。
別作品ではあるのだが、『アウ
トロー』の完全完成版が『許さ
れざる者』のような要素もある
からだ。
どちらの作品にも共通のテーマは
「改心」だ。
人間にとっての悪行と善行の境界
線は何であるのか。それが描かれ
ている。
そして、この『アウトロー』
(1976)と『許されざる者』
(1992)の二作品の中間次期に
イーストウッドは『ペイルライダー』
(1985)を監督主演で製作した。
「ペイルライダー」とは聖書に通じて
いる人以外の一般的日本人には、
その意味さえもが不明なことだろう。
原題の意味が解からなければ作品
で描かれるテーマも理解は困難だ。
また、作品の底流に流れる製作者
の思いも。
クリント・イーストウッド自身が
作る映画は常に「人間としての
在り方」を観る者に問いかける。
ドカーン、バキューン、チュドーン
でヒャッハ~、な動画などはクリント
は撮らない。
そういうのはスタローンやシュワルツ
ネッガーや俺様大将不死身のセガール
やジャキー・チェンに任せておけば
いい。
クリント・イーストウッドは、人と
人の世の姿を描く映画を作る。
シリアスだ。
これは91才になった今でも。
余談だが、映画『アウトロー』では、
主人公の JOSEY の名前の発音は、
登場人物がそれぞれ「ジョシー」、
「ジョーシー」、「ジョージー」、
「ジョジー」等呼ぶ。
固定的ではない。
これもクリント作品の事、ここにも
深い意味が秘められていると感じる。