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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

斬鉄剣 初代康宏

2021年12月26日 | open



これは初代小林康宏斬鉄剣。
長くてぶ厚くて重たくて、これを
帯びていたら腰が多分かなり重い
ぞ〜、てな感じの刀。
幕末刀というより慶長新刀みたい
な感じの刀。
ごつい!

二代目のほうは姿形は尋常なるも
モロに斬鉄剣なので、私は初代の
功績は大きくチャレンジャーとし
も歴史的だとは思うが、個人的
差料としては二代目康宏の作を
好む。
ただ、私の二代目作は肉置きが
タップリあるハマグリ姿で、餃子
か木刀みたいにでっぷりしてる。
二尺三寸六分で鞘を払って1.2キロ
あった。
それを英信流の定寸に磨り上げの
時に上研ぎして「游雲」の号名を
銘に切って再登録してもらった。
勿論、拵もすべて作り直し。
磨り上げ後は鞘払い1050gまで
落ちていて、軽いので手捌きも
良い。

あまり重た過ぎるのは長時間は
振れないけれど、刀は重くても
軽くても私はいいのよ。
それなりに刀に合わせて使うから。
ただ、あまり軽くしすぎると、
それはまるで踊りの用具みたいに
なってしまって、(やらないけど)
本当の斬り合いには使えなくなる。
つまりオモチャのテッポ持って
バンバンとか言ってるのと同じ
になってしまう。
手捌き良いからと刀を軽くし過ぎ
るのは、刀剣として死んでしまう
ので考えもんなんです。
刀を軽くしてなんとかしようとする
邪(よこしま)な算段は、武とはかけ
離れるので、これもまた宜しくない。

そうした打算的目論見系とは別に
「桐の木刀で稽古せよ」という
教えも古伝剣術にはある。
軽い刀を使える人は重い刀も使え
る。その極意を表した教え。
ところが、重い刀頼りだったり
い刀頼りという偏った考えだと、
大切な刀法に習熟できない。
そして、健康体操ではなく日本の
伝統武芸として剣を振るのである
ならば、ことさらに常に軽い刀に
して何かを目論むのは、それは武
とは乖離して行く「それは悪しゅ
うござる」という仕儀になる。

こうした事は、ずっと江戸期から
憂慮すべき傾向として武士の中で
は言われ続けて来た事なんですけ
どね。今に始まった事ではなく。
でも、どうせ武芸やるなら、本物
の刀を持ったほうがよくはないで
しょうか。試合の用具などとして
は扱わずに。
斬り合いは無いけれど、「実戦
剣戟に使える日本刀」で武芸は
取り組んだほうが本物の道を行く
のではないでしょうか
本道のど真ん中を。


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