渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

バラブシュカのハギ

2022年02月20日 | open

このハギはプールキューの神、米国
のジョージ・バラブシュカが使用し
バートン・スペインの作った
ハギ
レプリカモデルだ。
多分アダムの粕谷さんの作。
 
これはあくまでバラブシュカの遺族
ライセンスによる日本のアダム社の
製品なので、バラブシュカ実物では
なく、プレミア価値は一切無い。
あくまでインスパイア製品であり、
名称を使う事をジョージ・バラブ
シュカの遺族と公式契約により許可
を受けて製品化された物だ。
本物のバラブシュカは400万円〜
1,500万円程する。
このレプリカキューの60〜250本分。
完全なる歴史的なプレミアム金額で
あり、日本刀ならば正宗みたいな物。
だが、バラブシュカが不世出である
のは、打球性能が頭抜けている事だ。
そして、ハギを曲がり防止の構造体
としてではなく、初めて装飾として
部分使用の組み立てコンバージョン
とした事。
その後、現在まで続くプールキュー
作りの基礎を作ったのがジョージ・
バラブシュカだった。

湘南電車カラーはバートン・スペ
インのカラーベニアの色。

バラブシュカはブランズウィ
ック
の上級ハウスキューの
タイトリスト
のハギをカット
して再組み立てで
キュー
作った。
最初の一からは
作っていない。
このレプリカモデルは最初の一か
ら作っているので、ある意味では
バラブシュカ実物よりも作家的な
作品ではある。工場生産だが。

ガス・ザンボッティの名称を使う
事もメーカーから遺族に打診され
たが、遺族からは断られている。
そのため、某社は「それいいの?」
という程にフルコピーのキューを
無断で製作販売した。ザンボッティ
にしか無いデザインを。
個人ビルダーが敬意を表して製作
するのとはスタンスが異なるので、
あまり褒められた行為ではない。
このジョージ・バラブシュカのレ
プリカモデルはあくまで公式ライ
センスで製造された製品だ。


この個体は、糸巻きをバラブシュカ
やTADがよく使っていた白/緑ゴマ
のアイリッシュリネンに交換した。
エンドキャップもプラスチックから
別樹脂に交換した。
なお、標準出荷時シャフトは、所有
者がカスタムできるようにした為か、
信じがたい程に太かったので、
私の
オリジナルテーパーに旋盤
で削り、
さらに細部を整えて
セッティングし
た。
 
シャフトは標準品で強い虎目が
ているハードロックメイプルだ。


質が極めて良い。
標準品でこれ?という程に。
昔の時代だからこれができた。
今は不可能だ。
薬品ドブ漬けの木を殺した真っ白
な削るとチーズ様ではなくシャリ
シャリのカキ氷のようなシャフト
ばかりが現在の製品だ。動きも
まるで棒のようだ。
それではハイテクシャフトに乗り
換える人も多発する筈だ。


あくまで個人的な好みから、先角
はLMB(リネンベースメラミン)に
交換してある。打感が象牙に一番
近いソリッド感を出していた。
エルフォリンが登場するまでは。


このキューのプレーアビリティは
とても高い。
音も最高に良い。
カスタムしていじり倒したからと
いうのもあるだろうが、最初から
素材ベースとしては高水準だった。
 
ただ一つ欠点がある。
標準の58インチよりも1インチ近く
短いのだ。ノーマル出荷段階で。
そういう仕様なのだ。バラブシュカ
オリジナルに沿って。
しかも、私は普段使用の自作キュー
は60インチの長尺なので、なおさら
短く感じる。
このキューを使うと、遠い玉が
「うを!短い」と感じる。
 
遠い玉はキュー尻を持って撞く。
(私のオリジナルキュー)


欠点はそれだけ。
あとは、このバラブシュカレプリカ
はプレーキューとして申し分ない。

広島県三原市

2022年02月20日 | open


日暮れ前。
著しく寒い。
雪もちらついて来た。


温泉とスキーとビリヤード

2022年02月20日 | open



バブルな時代。
まだ父のきょうだいたちも健在
だった頃。
毎年一族で正月には旅行に行った。
子どもたちも一緒に30人位で。
それを数年続けた。
観光バスを仕立てて全員で移動し
たり、観光クルーズ船旅用とかを
ていた。
まあ、バブリーな時代ですね(笑
旅行代理店を通さず、自分たちで
企画してやってた。
コンダクター役は持ち回りで。
バブル弾けてからも2年ほどやった。

一度、観光バスで群馬県の水上
温泉に行った。スキー旅行だ。
ゲレンデでは私も父も親戚たちも
スキーを楽しんだ。




ゆったりと温泉と夜は大宴会。


翌日もスキーと温泉。


そして、宿泊したホテルには撞球室
があった。四つ玉台だ。
私が一人で撞こうかとしていたら、
父のきょうだいの東京の末弟の叔父
相撞きしようか、と言う。
もうキューを握るのは何十年ぶり
だと言いながら。
以前は仕事帰りに毎日のように撞い
ていたという。四つ玉。ポケットは
やった事が無いらしい。
会社経営者になってからは全くやっ
ていないと言う。
古代史の研究者でもあった。
相撞きをした。
とんでもない上級者だった。
100点のショートでやったが、すぐ
に撞き切ってしまう。私はカウント
しているだけ(笑
あいやぁ!だった。
叔父と3時間程玉撞きをしていたら、
母や叔母たちもやってきてビリヤー
ドを教えろと言う。
急遽、入門教室になって、家族親戚
でビリヤードを楽しんだ。
あれはよい思い出になった。

これほど豪華な部屋ではなかった
が、これに近い撞球室のある水上
(みなかみ)のホテルだった。


こういう部屋が自宅にあると最高
だろうと思う。


温泉旅館に卓球はつきものだが、
かつて、1987年にポケットブーム
が来る前にはビリヤードルームが
旅館や老舗ホテルにはある所も多
かった。
広島県尾道にひなびた温泉があり、
日帰り入湯もできるその古い温泉
には娯楽室があるのだが、今は
卓球台が置いてある。
しかし、部屋の寸法と作りを見て、
私は察知した。
ここは元撞球室だった、と。

撞球は一般的に紳士淑女、そして
庶民にも旅先での遊行の際の娯楽
しても親しまれていた。
今はもう取り壊して存在しない東
京弁護士会の旧会館の中には「撞
球室」という部屋があった。
私が法曹界に勤務していた頃は既
にその東弁の撞球室は明治建築の
ようなドアのガラスに印刷された
ものがあるだけで、部屋は弁護士
たちの碁会所となっていた。
いつも混んでいた。
ある時、東弁の3階会議室で打ち
合わせしていた。
なんか、でっけーテーブルだなぁ
とか思って足元を見た。
ぬぁんと、日本玉台製のビリヤード
テーブルだった。
それに天板を置いて、会議室の
大テーブルに使っていたのだった。
あれには激しく苦笑した。
多分、大正時代か戦後間もなくの
頃のビリヤード台だろう。当然、
古風な箱台。
弁護士たちも少ない余暇には撞球
を楽しんでいたのだろう。

先日、外国人の友人が私に尋ねた。
「なんで日本の大学にはビリヤー
ドルームが全然無いの?」と。
うーん。こっちが訊きたいわい(笑


燐寸(マッチ)

2022年02月20日 | open


マッチがいいね。
古いオイルライターも味があって
いいが、やはりマッチが好きさ。

戦前。
「辻を曲がれば撞球場」という
景観だった頃の東京は、ほかの
飲食店のようにマッチが重要な
広告だった。

私がかつて勤めた西新橋に戦前に
あったビリヤード場の店のマッチ。

戦前のマッチは、ビリヤードに
限らず、古い資生堂のポスター
のようにセンスあるデザインが
多い。


大井町水神下のビリヤード。


帝大(東大)前のビリヤード。


新橋ビリヤード。シュール。


戦前のビリヤード場マッチラベル
のコレクション。


私は今でも、キューケースの中
には、使わなくとも「お守り」
としてもう閉店になったビリヤ
ード場のマッチを入れている。
「心に灯火を灯せ」という気持ち
で。


マッチがいいね。
特にパイプなどではマッチが必須だ。
マッチがいいね。



ビリヤード 〜スリークッション〜

2022年02月20日 | open


ビリヤードというキューを使った
キュースポーツの球技において、
最高至高の究極の種目はスリー
クッションだ。
計算通りに狙ったように手玉を
自在に動かして3度クッション
に入れてから的玉に当てる種目。
どのように当たったか、ではなく、
どのように当てたか、が中心と
なる競技だ。

ビリヤードの起源は古く、紀元前
から原始的な玉当て競技は野外で
行なわれていた。
そして、それはゴルフとなった
り、ホッケーとなって分岐発展
して来た人類史がある。
テーブルテニス=卓球のように
ビリヤードが室内競技として発展
してからは、最初はホッケーのよ
うな木製器具で玉をゲートにくぐ
らせる競技となった。台の真ん中
穴があり、それに玉を入れる。
別分岐した野外のゴルフに近い。
それが、だんだんとゲート先の
レール側に穴が設置され、そこに
落とす競技に発展した。




やがて、ビリヤードは玉転がしから
棒で玉を撞く種目に発展、穴に入れ
るのではなく、玉同士を狙い通りに
衝突させるキャノンボールが生まれ
た。


穴は台から消滅し、玉のぶつかり
を点数として競技するキャロム
ビリヤードが登場して、ビリヤー
ドは完成をみた。
さらに、器具が改良され、滑り
どめのパウダーが発明され、そ
してフランス人がキュー先に革を
貼り付ける事で魔法のような手玉
の動きをさせる事を思いついた。
日本における江戸時代のビリヤー
ド。長崎でさかんに外国人白人に
よって行なわれた。

一方、英国を中心に台の四隅と長
クッションの真ん中に穴を設けた
台での玉入れ競技も発生して独自
に発達した。
さらにそれが英国から独立後の
アメリカ合衆国で独自に発展し
てアメリカンポケットビリヤード
=通称プールが誕生した。
西部開拓時代の事だ。

その19世紀にアメリカで誕生した
プールが今や日本では盛んになっ
ている。
英国式スヌーカーよりも玉は大きく、
台は9フィートで小さい。

英国式ポケットビリヤードのスヌ
ーカー。台は大きく、玉も穴も
小さく、コーナーのクッション
エッヂは丸められていてとても
入れにくい。
スヌーカーに比べたら、プール
などは賭け玉遊び用として扱われ
て来たのも頷ける。
プールのほうが圧倒的な簡単で
スピーディーだからだ。

ビリヤードはどの種目も簡単では
ない。
ボウリングのように玉がピンに
当たれば倒れる、ダーツのように
投げれば誰でも刺さる、という
ような球技ではなく、一定のレベ
ルが無いと競技自体が成立しない
球技だからだ。
なので全世界的にビリヤードは
一般的なスポーツのようには普及
しない。フライフィッシングと
同じだ。あるレベル以上の専用
技術がないとその種目自体をやり
こなせないのでオハナシになら
ない特殊な種目だからだ。

ビリヤードはどの種目も簡単で
はないが、ビリヤードとは穴無し
玉当て競技のキャロムの事を狭義
には指す。穴入れはポケットビリ
ヤードであり、スヌーカーやアメ
リカンプールとなる。
キャロムは日本で明治以降貴族
たちだけでなく、一般人にも大
流行した。
日本が侵略併合していた頃に朝鮮
台湾にビリヤードを日本人が
持ち込み、終戦後には南朝鮮韓国
と中華民国台湾で国技かのように
隆盛を見た。選手育成にも両国は
力を注ぎ、日本はいつの間にか
とうに層としての実力は抜かれて
しまった。
戦前までは世界選手権でも日本人
は唯一の東洋人として活躍してい
たのに。

日本では紅白の4個の玉を使う
四つ玉や三つ玉が主流だった。
1860年代の幕末から1986年ま
では日本の国内で「ビリヤード」
「撞球」といえば四つ玉の事を
言った。
京都大阪のみアメリカンプール
がそこそこあったが、当時「ロー
テーション」と呼ばれたプール
は、ビリヤードの世界では「お遊
び玉レジャー」として見られてい
て、ビリヤード=キャロムより
もかなり格下の論外とされていた。
穴入れ玉のプールよりもキャロム
のほうが高度な技術を要するのは
確実な事だ。これは物理的に。

そして、かつてキャロムビリヤード
は、英仏西の貴族たちによって
嗜まれていたように、日本におい
ても皇室はじめ、鹿鳴館に入れる
華族によるプレーが嚆矢であり、
特権階級の常識的スポーツがビリ
ヤード=キャロムだった。
街に撞球場ができたのは、東京が
初めてで、西洋料理店の店内に
撞球台を置く事が一般化した。
やはり、始まりは銀座だった。

どのビリヤードも簡単ではないが、
最難関はキャロムのスリークッ
ションだ。一番難しい。


台が大きく、玉も大きくてとても
重たいスリークッションや四つ玉
をやった直後にアメリカンプール
をやると「これはピンポン玉か?」
という程に玉が小さく軽く感じる。
「キューを出して撞く」という動作
は同じなのだが、重さと撞いた感
触がかなり異なるので、両者での
二刀流は非常に難しい。
どちらか一方に特化しないと、なか
なか両立は困難だ。

だが、私は思う。
ビリヤードの究極はスリークッシ
ョンだ、と。
アメリカンプールは非常に競技性が
高くて勝負事として面白いのだが、
部屋に一台置きたくなるのはキャロ
ム台だ。せめて四つ玉台を、と。

勿論、プール台は別に1台必須と
して(笑

ただ、今の日本人は忘れている。
プールといえばアメリカ合衆国、
スヌーカーといえば大英帝国。
それと並んで、四つ玉といえば
世界の中では日本だったのだ。
日本が世界一四つ玉競技が根付い
て大スタンダードになっていた。
日本は世界を代表する四つ玉王国、
キャロム大国だったのだ。
そして、世界大会で多く開催され
ていた三つ玉やボークラインでは
なみいる白人を向こうに回して
日本人が大活躍して日本ここにあ
りを見せていたのがキャロムビリ
ヤードだったのである。
スリークッションはベルギーを
はじめとするヨーロッパ勢が強い
が、日本人も戦後何人か世界チャン
ピオンになっている。
日本は刀やオートバイだけでなく、
キャロムビリヤードの国でもあっ
たのである。

私は、ビリヤードを始めたのが
東京であり、かつ、たまたまビリ
ヤードブームになる直前だったの
でラッキーだった。
なぜならば、まだ四つ玉が主流
で、四つ玉を散々どこでも玉屋で
は撞けたからだ。

昔の古い教本。


この本の中には、見開きでビリヤ
ード場を紹介する大きな写真が出
てくるが、そこにたまたま私が
写っている。奥でマッセをする
同僚を台ぎわで両手をついて見守
るワイシャツにネクタイが私。
台間が狭く席がないためにやむな
くこうなる。ここは高田馬場ビッグ
ボックス。


今などは四つ玉を撞こうにも
を置いてある店を探すのが大変
な世の中に変貌してしまった。
プールであるローテーションの
みがビリヤードであるかのような
勘違いをしている人たちだらけ
になった。
若者などはビリヤード=キャロム
である事を知らず、穴入れ玉競技
のみがビリヤードかと思っている
し、それに疑問も抱かない。歴史
など知ろうとしない子たちだらけ
になっているから。
ただ、ゆとり教育が彼らのせいで
はないように、今の撞球環境が
プールオンリーであるのも、物
を知らない彼ら若者のせいでは
ない。
だが、知ろうとしないのは、彼ら
若者の責任に属する。

スリークッションの台があると
最高なのだが、スリー台は管理
が難しい。
石板の下にヒーターがあり、台
を暖めるのだ。
ラシャが乾燥してよく玉が転が
るように。
アメリカンプールのようなくそ
重たいラシャとは別次元。
スリー台はコンディション維持
が難しい。
ただ、私はポケットビリヤード
の台にスリーで使うような滑る
ラシャを用いて入れを簡単にする
集客セッティングは大嫌いだ。
ポケット台は、しっかり撞かない
と手玉が走らず、かつ穴は狭い台
でないとつまらない。
穴入れ撞球は玉転がしではない
からだ。
スリーはまるでトビウオのように
台上を手玉が走るのが本旨なので、
走るラシャであるのが望ましい。
ポケットはまた本旨が別物だ。
ポケット台では重いラシャをさら
に緩く張って重くする。どんどん
難しくなる。
そういうセッティングの台がよい。

歩行訓練

2022年02月20日 | open

こんな難しい配球を「嘘でしょ?!」
というようなショットで取り切って
行く友人。

だが、最後の9番への出しミスで
こんな玉になった(笑


これはチビスィイ。

ロングの空クッションから狙って
穴前カタカタで外したのでこの
ゲームは貰った。

かるーくと思っていたが、結局、
15時間の長距離歩行行軍となっ
た昨日午後からけさがたの夜明け
前までなのだった。
5時間経過後からは、やるのはいつ
ものナインボールの旧ルールの5
ゲーム先取り。それの7セット先
取り。
累計ゲーム先取りではないので、
5先のゲームが4-4のヒルヒルに
なっても、5先最後の1ゲームを
落としたらそれまでの4ゲームは
パァになりセットカウントは0。
勝ったほうはセット数1。
その5先7セットの先取り。
最初の5先は私のぶっちぎりで
5-0で1セットを取った。
その後、ヒルヒル続きながらも
まくられて、セット数1-5でちぎ
られかけた。
それを5先15ゲーム連取でセット
数4-5まで追い上げたら、相手も
休憩挟んで気合を入れ直して、
完璧に入れまくりでセット数4-6
に離される。
そして11セット目。5先数が4-4
のヒルヒルとなった。
が、ぬぁんと、おいらがラストの
ナインボールを穴前マスワリ飛ば
しをしてゲームカウント4-5でその
セット負け。
セット数は4-7となって大差がつい
てけさがたは負けた。
いやあ、一球は大切です。
一球一球が大切なのだけど、ここだ
けは絶対に外してはいけない玉とい
うのがゲーム中にもある。
今回は、セットが4-5の時点で、
10セット目のラストゲームを落と
してセット4-6でセットリーチと
されたのが痛い。
5-5とするのと4-6とでは雲泥の
差だ。たった一球のミスでそう
なった。
流れを読んで、この一球は絶対に
外してはならない、という極めが
甘かった。

二人ともリハビリ訓練対戦なので、
入れよりも手玉の訓練ゲーム。
それでもズンドコ落としまくる。
ただし、二人とも無駄な長考や逃げ
のセーフティはしない暗黙の了解で
どんどこゲームを進める。
無論1個外したら回って来ない。
正月から再稽古を始めて、ようや
くC級ノービスからSC級(笑)ほど
にはなれたか(そんな級はねーす)。

只今、二人揃ってリハビリ中。
ゲームを通して、いろんなショット
を試斬のように試して行くのが目的。
対戦15時間は撞き過ぎだが、一人
訓練の時も3時間位は全く同じ玉を
ずっと撞き続ける。ショットを完璧
なものにするため。
先日のその訓練も今回の相稽古の
中で活かせた事が分かった。
一度軟球配置からの完璧過ぎる手玉
の動きでの裏マスワリがあった。
14.1ラックのように場を意思通り。
これはたまたまだが、そのたまたま
が毎度の事にしていくたまたまが
玉玉の世界だ。それはたまたまでは
なくなる。狙った意思の実現を100%
に近づけて行く。
完璧にスポーツなのだ。
まるで氷上のフィギュアスケートの
厳しさのように。

的玉を穴に入れるのは当たり前の
前提なので、どれだけ手玉を正確
に動かすかを私と友人は今やって
いる。
手玉の出しが甘くて、それをシュー
ト力でカバーして誤魔化すのでは
なく、穴の幅の狙った位置に入れ
て、手玉を正確に狙った場所に移
動させる、という事を今は稽古し
ている。穴から見て小さな扇形の
エリアに。
「だいたいこのくらいのとこ」で
はなくもっと狭く。
適当に出して取り切って、では
ない。

これは、私のやる試斬の稽古に
似ている。
ただ畳表が切断できたかできない
かなどという超絶低い次元思考の
試斬などは私は一切やらない。
そんなもん刀を使う人間は切れて
当たり前なのだから。エアいあい
だろうと「刀術」をやっているの
だから。
切れない人間は嘘物のエア切り
体操をやって来たから切れない
だけで、刀を使う限り使い手が
物を切る事ができるのは当たり
前の事なのだ。箸の持ち方のよう
に。

それと一緒で、穴台撞球では玉を
入れるというのは当たり前の大前提
の事。
問題は、どうやってどのように入れ
たか、であり、どのように手玉を
きちんと次球のために=全体取り
切りの為に正確に移動させたか、
だ。
日本刀での試斬稽古も、その視点
を持たないと、ただのモグラ叩き
のようになる。無駄。意味なし。
時間を無駄に使っている。
そして、目を開かないと、たかが
畳表が切れたか切れないかだけに
目が行く斯道の外道となる。武技
武芸、武士の一分からは著しく離
れる。
釘打ちは家を作る為であり、釘打
ちをする目的でトンカチがあるの
ではない。
家を建てる為に釘が正確に打てな
いとならず、そのために大工は
釘打ちの技術を習得する。
釘打ちを目的とはしていない。
そこの大切なところをまるで解っ
ていない刀振りが世の中多すぎる。

撞球においても、大切なのはどれ
ほど入れたかではない。
そんなのは大前提で箸の持ち方だ。
重要な事は、どのような意思を持
っていて、どれだけその判断が正
しいのかを現実に実行する事だ。
その正確適正な判断力の具現化の
為には正確な技術の裏付けがない
と事は成せない。
玉の穴入れなどは当たり前の大前提
なので、そこは重要ではない。
それを実行するのに何をやったの
か、こそが重要なのだ。
シュート力があれば入れのみに特化
した「イレイチ」で玉は突けるが、
いくら玉が突けても、それは玉撞き
ではない。

これ、結構、大切。
日本刀を用いる伝統武芸の修練でも、
キューという木製玉撞き棒を用いる
撞球という球技においても。
道は相通じている。

ぶら下がり健康器

2022年02月20日 | open

ぶら下がり健康器。
デルリンを削り出してネジを切っ
て作ったジグ。
リペアマンのバディ藤田さんが
引退する時にくれた。
18山用と14山用がある。

これは塗装の時とかでキューを
吊るす為のバディ藤田さんの自作
用具だが、塗装後に室内で吊るし
て乾燥させる時にも大いに活躍す
る。


今回はハンドルの刺繍糸のラッピ
ング補修の乾燥での吊るし。




ラップコートが乾燥したら、ガラス
管でぐりぐりと満遍なく何度も押さ
えてこする。疲れて休憩しながら程
こする。旋盤でのローラーよりも
より密にきつく圧縮均しができる。


これ、ギターのボトルネックなの
です(笑
内田勘太郎さんのようなカルピス
の瓶ではなく、専用製作された楽
器器具の一つ。
スライドギター奏法の時、とても
よい音色を奏でる。指入れて弦を
スライドさせて弾く時の物。
これがキューのハンドルラップの
均し作業でかなり使えるのよね。


刀術稽古場行き用の携帯手製刀置
きも、まるで測ったように作業用
キュー掛けとして使える。







いやあ、汎用性がある物は探せば
あるものです。
キューの糸巻きも、ビリヤードの
世界ではアイリッシュリネン糸が
一般的ですが、実は25番手の刺繍
糸がよりきめ細かくて上質な巻き
仕上げになったりもします。
友人が自分のキューに巻いた刺繍
糸のハンドルは極めて緻密に丁寧
に巻いてあり、業者顔負けの仕上
げとなっています。
そして、やはりガラス管でグリグリ
押圧を丹念にやって、さらに薄く
コーティングして、また乾いたら
グリグリやっている。
巻いてから既に10年目になります
が、今でも最高の手触りです。
アイリッシュリネンのハンドル
糸巻きより何倍も良い。
そのうちアップで写真を撮らせて
貰って紹介します。

そのラッピングをしたキュー。
この子が10才の時に父親の指導の
下、自分で時間をかけて丁寧に巻
いて、私の友人である父親が監修
と仕上げをした。
2022年 新年初撞き1ラック目