立命館大学には国際交流のために
学内にビリヤードルームがある
ようだ。素晴らしい。
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Shots 4k
なんだか、想像を絶するキューの
作り方(笑)。
おどれーた。
漢洋長崎居留図巻
唐蘭館絵巻
ビリヤードの日本渡来は江戸時代。
長崎にオランダ人が持ち込んだ。
遠山の金さんが長崎奉行だった頃
と伝わる。
だが、異説もあり、史料から既に
17世紀前半には日本にビリヤード
が入って来ていた形跡がある。
明治文明開化の時代に日本人にも
明治貴族や財閥子女たちの嗜みと
して撞球は普及した。
明治時代の東京では西洋料理店に
撞球台を置くことが開始されたが、
国産第一号のビリヤード台の製作
は大阪の業者が開始した。
ビリヤードは鹿鳴館にも撞球室が
あり、6台のキャロムテーブルが
設置されていた。
また、大手の企業の娯楽室等にも
撞球台が数台置かれており、日本
人はスポーツという物が日本に
伝来した当初から優雅な娯楽の一環
としてビリヤードを楽しんでいた。
明治時代、東京市内を縦横無尽に
走る路面電車の都市東京では、電停
のそばには必ずビリヤード場があっ
た。
ただ、ビリヤードはまだ高額所得者
や町の遊び人たちだけの遊戯であった
事も確かだ。
ビリヤード場にはカウントさんと
呼ばれる女性店員がいて、客の点数
を声を出してカウントしたり、店内
清掃や台の整備等をした。
また、当時の都会のカフェのメイド
などと同じく、時によりカウント
さんたちは売春もした。
街のビリヤード場は賭け玉の博打場
となり、そして酒も飲め、さらに
売春。飲む打つ買うの三拍子揃った
鉄火場と化した。
戦前には世界選手権に出場する日本人
選手もいたし、ボークライン種目で
は日本は世界トップの国だったのだ
が、街の撞球場はどうにもヤクザな
場所、「悪所」になっていた。
戦後もビリヤード場は風営法の管理下
にあったが、1955年にそれが解除され
た。
戦後の風営法については、解説サイト
からの引用によると以下だ。
(1)遊技場営業の規制の経緯
という理由で、遊技場は戦前から遊技
場取締規則などによって規制を受けて
いました。その当時の遊技場とは、
玉突、囲碁、将棋、釣堀、射的、大弓
などでした。
戦後これらの規則は廃止され、一部
は風俗営業取締法に取り込まれました。
戦後の遊技場営業は、もっぱら
「射幸心を刺激し過ぎないこと」や
「青少年の健全育成」といった目的を
主眼にして規制がかけられてきました。
昭和23年制定の風俗営業取締法を
見てみますと、当時の風俗営業は
第一条 この法律で、風俗営業とは
左の各号の一に該当する営業をいう。
一、待合、料理店、カフェーその他
客席で客の接待をして客に遊興又は
飲食をさせる営業
二、キャバレー、ダンスホールその
他設備を設けて客にダンスをさせる
営業
三、玉突場、まあじゃん屋その他設
備を設けて客に射幸心をそそる虞の
ある遊戯をさせる営業
と、3種の区分に分類されいます。
第1号と第2号の営業は、接待や
ダンスによる風紀の乱れ、特に売春
行為への発展を防止する目的である
と思われます。
第三号の風俗営業は「射幸心」と
いう言葉にもあるように、客が経済
的に破綻することを防止し、健全な
勤労観念を保持することが目的です。
玉突場とはビリヤードのことです
が、昭和29年に第三号中に「ぱちん
こ屋」が付け加えられた翌年の昭和
30年に、「玉突場」が第3号から、
つまり風俗営業から削除されました。
このように風俗営業の内容は時代
の変化に応じ、その時代において
風俗環境に悪影響を与えるおそれ
の高い業種を取り入れ、逆にその
おそれが低下した業種を除外して
います。
ビリヤードが対象から外された
理由には、ビリヤードが大衆娯楽
から健全なスポーツへと発展して
いったことや、大衆娯楽の主流が
パチンコなどへ移行していった
ことなどが考えられます。
とある。
だが、「ビリヤードが大衆娯楽
から健全なスポーツへと発展し
ていった」というのは嘘である。
事実、1955年から30年後の1980
年代中期の時点で、街のビリヤー
ド場では、賭け玉でなくば誰も
上級者は相撞きをしてくれなかっ
た。
ビリヤードは「博打の為の遊戯」
でしかなかったのだ。
それが賭け玉抜きで一般的に大
普及したのは、1986年暮れに公開
された映画『ハスラー2』という
賭け玉撞球師の映画の影響だった
のだから皮肉なものだ。
この映画により空前絶後のビリヤ
ードブームが日本に訪れ、そして
ド素人が増えた。
素人さんが増えると、賭け玉など
はしない。
裾野が広がると技術系の種目は
人口は増えても層としての密度の
技術レベルは総体では低下する。
だが、素人さんは賭け玉をしない
ので、「上級者=博打打ち」と
いう現象に一定の歯止めがかかった。
だが、今世紀に入ったつい最近
まで、日本ではプロでさえ博打玉
を好んでやっていた(特にポケット)
という現象が厳として存在した。
逮捕されなかっただけの事だ。
つい10数年前まで「撞球師=博徒」
だったのだ。
映画『道頓堀川』(1982)では、
1982年当時の撞球師を描いて
いたが、博打打ちのそれだった。
事実街のビリヤードでは賭け玉
以外では「勝負」は行なわれて
いなかった。
玉屋に必ずあった上級者常連の
専用台のポケットが渋い「華台」
という台は、博打の為の台だった。
売春防止法さえ施行以前の昭和30年
にビリヤードが健全なスポーツ化
したから風営法から外されたなど
というのは社会史としては大嘘だ。
米国の若手有力選手にコーリー・
デュエルという選手がいる。
マスワリ王のような入れとキュー
切れが鋭い選手なのだが、彼は
まるで健全なスポーツマンのよう
な初めてのプール選手だった。
今世紀初頭の全米オープンの試合
で日本の解説者が放送で言っていた。
撞球素人のアナウンサーが
「ビリヤードの選手らしからぬ
スポーツマンのような、まだ
学生のような風貌です」と言った
事についてのコメントで。
「これまではビリヤードというと
映画の影響とかもあって・・・」
そこで言葉を止めた。
その続きは「賭け玉ばかりの
世界だった」と言いたかったの
だろう。
そして、続けた。
「スポーツとしてのビリヤードと
いう新世代の選手でしょうね」と。
2000年前後でさえ、そんな論評
となるのが実態だった。
日本の戦後第一次ビリヤードブーム
は映画『ハスラー』(1961)で、日本
国内で爆発的にビリヤードが流行
した。
だが、それは四つ玉だった。
1986年の『ハスラー2』によって、
1987年あたりから再度ビリヤード
ブームが起こるのだが、大阪・京都
とは異なり、東京ではまだ四つ玉が
中心だった。
飲食のできる「プールバー」がバブル
経済到来が本格的な1988年になって
一気に増えてからようやく東京でも
ポケットビリヤード=アメリカン
プールが増え始めた。
まだ国内のポケットビリヤードの
全国プロ組織もできておらず、
関東は独自活動のプロ組織を形成
してようやくポケット先進国の
関西に追いつこうとしていた。
ビリヤードの本格的スポーツ化を
めざして、オリンピック種目に
なる事を射程に入れて東西の別な
プロ組織が統一されたのは90年代
に入ってからだった。
だが、実際には、街のビリヤード
場では専属プロたちでさえも、
まだ裏の賭け玉をやっていた。
そして、社会的意識性が誰が
低いかといったら撞球師を出せ、
という程に社会問題や社会意識性
が低い選手層の種目がビリヤード
だったので、プロの選手でさえ
ポケットでは街の博打打ちでしか
なかった。
中には「賭け玉をしないと強く
なれない」と後進に説く連中も
多く、それらが業界を牛耳って
いたのが本当の歴史の真実だ。
「にぎる」「ごっく」「じゃぱん」
「ひらづき」「スポーツ」・・・
すべて博打玉突きの隠語だ。
台上ではプラスチックコインや
現金の硬貨が飛び交っていた。
そもそも、ビリヤード場経営者
たちはプロ選手も多かったのだ
が、博打玉を推奨していたのが
その本人たちだった。
麻雀は現在でも博打の賭け事と
してではなく本当に一般的な
街の雀荘で打つ人を私は知らない。
なんせ賭博を取り締まって立件
する大親分の検察庁の次期長官
予定者が根っからの賭け麻雀
好きですっぱ抜かれて追及された
程だ。日本はそんなもんだ。
司法の親方が違法な博打を悪い
事とは思っていない。
麻雀打ち=博打打ちであるように、
撞球師=博徒であったのだ。
ごくつい最近まで。
ビリヤードを博打に利用する事。
これは不健全この上ない。
今でも少しばかり撞けるA級気取り
の奴らは、ちょいと撞ける奴を
見つけると賭け玉の誘いをかけ
てくる。
まあ、社会的意識などは底の底
の底辺以下の地中のように低い。
新聞も読まなければ、社会問題
や社会意識には興味もなく、目先
の享楽と快楽にしか興味がない。
そういう人間がドワッといたの
がビリヤードの世界だった。
今でもまだかなり残存している。
ま、なんてのか、カスですね。
社会のゴミみたいなもん。
銭金関係なく、純粋にビリヤード
ならばビリヤードの勝負をしたい
人間のみが、本当にビリヤードを
愛しているのだと思う。
それはすでに映画『ハスラー』(1961)
の中にもエディの本心として描かれ
ていたし、『ハスラー2』(1986)でも
金など関係なく本当の実力で勝負
したいと言うビンセントとその
ビンセントに若き日の自分を見た
エディに描かれていた。
だが、アメリカでは1961年でも
1986年でも、そうした考え方を
持つ撞球師は頭がおかしい人間
とさえ思われていた事も両作品
では描かれている。
そして、二作のテーマが映える。
「本当は銭金ではないところで
真剣勝負したいと希求する彼ら
こそが本物なのではないか」と
いう映画作品の中心幹のテーマが。
今の時代になっても、ビリヤード
を金を賭けないとやろうとしな
い人間は、はっきりいってカスだ。
まだ結構いるよ~。
ビリヤード場を経営している奴や、
「アマ選手」にも。A級である程
いる。
まあ、新聞も読まない、ニュース
も見ない、ていう種族ね。
そして、そういう種族は社会的
知性が低いから、公序良俗に反
する事がいかに破廉恥かも知ら
ない。野良犬みたいなもん。
なので、人に対する人権意識や
個人の尊厳への尊重意識などは
皆無だ。
そういう類がろくに字も読まない
読めないのにネットの発達で
スマホからネットには繋がる
ようになったので本領発揮だ。
社会的な規範性や人権意識など
無いので、人を平気で陥れたり
傷つけて自己の快楽としたがる
理性なき行動に走る。
まあ、5ちゃんねらー民がその
典型なのだが、賭け玉族も質性
は同族といえる。
両者の共通性は、どちらも法を
犯している犯罪者だという事だ。
だが、犯罪者ほど盗人猛々しい。