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75才になって初めてVISTAを始めました。

映画「五社協定」

2010年04月02日 22時02分45秒 | Weblog



日本の大手映画会社の松竹,東宝、大映,新東宝,東映

の五社が、五社協定(ごしゃきょうてい)を

今から、57年前の1953年に結びます。

名目は映画会社同士の専属監督・俳優の引き抜きの禁止するものでした。

しかし、真の目的は、日活による俳優引き抜きを封じることでした。

戦後、映画興行などを中心に活動していた日活が、

映画制作再開へ動き出します.

多摩川撮影所(現・日活撮影所)を建設するとともに

他の5社から監督や俳優の引き抜きを行おうとしました。





結局,この五社協定で,日活映画は,

舞台俳優を使わなくてはなりませんでした.

宇野重吉らの「民芸」や

辰巳龍太郎や島田正吾の「新国劇」で映画を製作していました.

日活は水江瀧子(みずのえ・たきこ)ブロデューサーが

石原裕次郎を見つけ出すまで,地味な作品が続きました.

              … … …

フランキー堺主演の『幕末太陽傳』など、

問題作がありましたが。




石原裕次郎ら独自の新人スター発掘に成功し、

男性アクション路線も大人気で定着しました。

そして日活も協定に参加し「六社協定」となります。

六社協定では「スターを貸さない、借りない、引き抜かない」の

三ない主義を打ち出していました。

新東宝が倒産します。

再び五社協定となりました。

             … … …

急速に伸びてくるテレビに対抗する

「五社協定」となります.

映画会社五社からテレビへの

劇映画提供を打ち切られます.

映画会社、専属俳優のテレビドラマ出演も制限します。

そこでテレビ局はドラマなどに

新劇俳優を多く起用するようになります。

戦後,映画製作再開した日活と似ています。

テレビ普及の影響で大手映画会社も

映画制作本数を激減させます。

東宝は専属俳優たちを解雇します。

東映はテレビに比重を移して撮影所の施設で

ドラマや子供向けの

テレビ番組を多く制作するようになります。

映画会社もテレビなくしては経営が

成り立たなくなりました。

映画会社専属制のスター・システムは崩壊します。

五社協定は自然消滅しました。





五社協定で日活が苦しんでいる,1955年に

日活で「消えた中隊」の企画が上がりました.

そこへ、名キャメラマン三村明氏が出てまいります.





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