父親の京都での仕事が
軌道に乗ってきたので
父母は相談のすえ決心して
浜松の復興バラックから
京都へ帰ることにしました
神戸から満州に渡って5年ぶりに
日本へ帰ってきて引き揚げ列車から
浜松駅に降りたとき
見渡す限り焼け野原(空襲と艦砲射撃)に
バラックが建っていました
… … …
母親の弟が住んでいる名古屋市代官町を
訪ねたときも、浜松同様、空襲後の復興時期
をむかえていました
国鉄・京都駅(二代目)は、5年前のままです
駅を出ると、懐かしい丸物百貨店(まるぶつ)が見えます
駅前では市電の停車場はループになったままでした
… … …
駅前の雰囲気も5年前のまま、時間が止まっていました
京都市は奇跡的に空襲を受けなかったのでした
家族で、落ち着き先の京都市左京区泉川町へ向かいます
市電か市バスかどうして行ったのか覚えていませんが
… … …
思い出のビル、街並みもそっくり残っていました
私にとって、船に乗って大連へ、
そして特急あじあ号で新京へ
そして敗戦後の引き揚げ、
… … …
私にとってこの5年間の
出来事はなんだったのだろうと
改めて感じました。
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