サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

再びオレンジデイズ

2010年08月06日 | 手話・聴覚障害
オレンジデイズの再放送を再び見た。

何年か前のドラマにガチャガチャ言ってもしょうがないという面もあるが…。
最終回に紗枝が何年かぶりに声を出したが、その声にのけぞった。
ある程度の年齢になって中途失聴になった人の場合、聞こえない、あるいは聞こえにくくなっても、(私の知る限りでは)発音が変になることはない。
例えば20年以上前に中途失聴した御婦人を知っているが極めて発音は明瞭である。本人はうまく発音出来ているか気にされているが。
無理やり解釈すれば、しばらく声を出していなかったから、うまく発音出来なくなってしまった。紗枝は自分の声が聞こえない(聞こえにくい?)ので、修正出来ない、ということなのだろうか。
あり得るとしても特殊事例中の特殊事例で、普通に見れば「聞こえなくなるとうまくしゃべれなくなる」と多くの人が思ったのではないだろうか。

他にも「ええーっ」という部分は多々あったんだが。
ちなみに手話部分はしっかりしてます。難を言えば、ドラマの人物設定より手話がうま過ぎる。これは演出的な部分になるけれど。
でも、ろう者の手話と比べると表情(及び非手指動作)がとぼしいので、能面つけて手を動かしているようにも見えた。まだまだ手話が未熟な私がいうのもおこがましいが。

一般論として、
ドラマでも映画でも企画当初は、描く対象が何であれ、その世界の事をあまり知らずにおおままかなストーリーを考える事も多い。その後きちんと調べると、「おかしい」「あり得ない」という点が続々と出てくる。
細かい点は修正できるが、根本的な部分はどうしようもない場合も多い。
例えば、心を閉ざした自閉症の人物がある出来事により心を開いた、といった無茶苦茶なドラマが、かつては量産されていたり。

オレンジデイズに話を戻すと、このドラマを見て手話に関心を持ち手話の勉強を始めたという聴覚障害者を知っている。
ずっと聞こえる人(聴者)の中で育ってきて、手話が聞こえない人の有効なコミュニケーション手段であることを知って手話を覚え、聾の世界との接点が出来たようだ。
聞いた時は驚いたけど。