1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

「わたしが死について語るなら (未来のおとなへ語る) 」(山折哲雄)

2011-06-10 20:11:30 | 
筆者は、親鸞の研究などで有名な宗教学者です。この本は、未来のおとなである子供たちに向けて書かれました。筆者は、子供たちに死を語る意味について、次のように書いています。

「本当はいちばん感受性が強い時期、子ども時代から思春期にかけて、『生きる』だけではなく『死』についてきちんと教えることがなければなりません。なぜなら、子どもたちは大人が思っているよりもずっと、『死』について考えているからです。」

「私は、いくら大人が子どもに対して、『生きる力』が大切だと言っても、それだけではなぜそうなのか、子どもたちに納得してもらうことはできないのではないかと思います。人間はいずれ死んでいく生物でもあるということを同時に言って聞かせなければ、生きていることのありがたさ、かけがえのなさのような感覚を教えることはできません。生きることの重大さは、いつも人間は死の危険にさらされているからこそ自覚されるものです。だからきちんとについて『死』教えないかぎり本当の『生きる力』は身につかないと思います。」

死が身近にあるインドのガンジス川での火葬の話、筆者自身が実感した死の話、宮沢賢治や金子みすずなど文学に描かれた死、日本人の心の底に流れる「無常感」などが語られていきます。

筆者は、この本の後半に、尾崎放哉の次の俳句を紹介しています。

咳をしてもひとり

この俳句を書いた時、尾崎放哉は結核に冒されていて、余命いくばくもないことを知っていたそうです。この俳句にうたわれた「ひとり」について、筆者は、次のように書いています。

「ひとりでもすっと立っている。そういう人間は見ていてとても魅力的なものです。」

「そもそも『孤独』だって悪いことばかりではありません。人間はひとりで生まれ、ひとりで死んでいく。本質的に孤独な存在なんです。今はひとりきりで死んでいったひとのことを『孤独死』と呼び、非常に気の毒な人生を送った人として扱っている傾向がある。もちろん気の毒な境遇のまま亡くなった人だっているでしょうが、だからといって避けなければならない悪い生き方だときめつけることはできない。そこで腹をくくっている人もいるかもしれない。これでいい、と思って孤独のうちにこの世を去る人だっていると思うのです。」

「一面では、社会は決して『平等』なものではないと理解することです。口先だけで『個性』『個性』というよりも、その前にまず『ひとり』で立つことをめざす、そういう志をもつことです。」

この本を書いたとき、筆者は78歳でした。以降、自らの死を見つめる筆者の想いが静かに、正直に語られていきます。

「『ひとり』で立つことができれば、『死』はそれほど怖いものではないのかもしれないと思うけれど、あらためて自分に問うてみると、そのことにほとんど確信が持てない、仲間がほしいと思う自分がいる。」

「(散歩をしているときに、いつのまにか自然と一体になっている自分を感じたときから)人間というものは、自分を取り巻いている自然と溶け合って一つになるような気分になったとき、静かに自分の死というものを受け入れることができるのではないか、と考えるようになったのです。」

「死んだときは『散骨』をしてほしいと望んでいます。」

「死ぬことは自然に帰ることだと思っているからです。散骨する先は一ヶ所とはきめていまぜん。妻と私のどちらか生き残った方が、ゆかりの場所をたずね歩き、灰にしたのを一握りずつまいて歩く。遺灰になったものはじつに清らかなものです。やがて土に帰っていくことでしょう。」

こども向けに発行されたこの本は、内容はほとんどそのままに年長者向けに編集しなおされて発行されました。筆者は、宮澤賢治の次の言葉でこの本を締めくくります。

「われら、まずもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばろう」(宮沢賢治「農民芸術概要綱要」)

老いをむかえる僕の心に、深く染み入る言葉でした。




*インドのガンジス川での火葬の話については、だいごろうくんのとても素敵な紀行文があります。



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