「自分は『愛欲の広海』に沈没する悲しい愚者である。名利の世界に迷い、本心では浄土への往生も仏の悟りの境地ものぞんではいない愚かな人間である。」
これは、教行信証に書かれている親鸞の言葉だそうです。煩悩にまみれた自らの姿をみつめながら、悪人は念仏を唱えることでほんとうに救済されるのかを問い続けた親鸞の鬼気迫る姿がとてもよく伝わってきました。良い本だと思います。
「教行信証」というのは、「教」の章、「行」の章という目次立てを書名としたもので、書名自体が作品の主題を明示したものではないそうです。なぜ親鸞は作品の主題を書名とすることができなかったのか、本書を読み進むに連れて明らかになっていきます。
五逆の罪を犯したものと、仏の教えを誹謗するものとは、救いの対象から除外するとした「大無量寿教」の立場を無批判に継承した尊敬する師法然を、乗り越えていく親鸞の苦闘が心に残る一冊でした。
これは、教行信証に書かれている親鸞の言葉だそうです。煩悩にまみれた自らの姿をみつめながら、悪人は念仏を唱えることでほんとうに救済されるのかを問い続けた親鸞の鬼気迫る姿がとてもよく伝わってきました。良い本だと思います。
「教行信証」というのは、「教」の章、「行」の章という目次立てを書名としたもので、書名自体が作品の主題を明示したものではないそうです。なぜ親鸞は作品の主題を書名とすることができなかったのか、本書を読み進むに連れて明らかになっていきます。
五逆の罪を犯したものと、仏の教えを誹謗するものとは、救いの対象から除外するとした「大無量寿教」の立場を無批判に継承した尊敬する師法然を、乗り越えていく親鸞の苦闘が心に残る一冊でした。
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