1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

「ホワイト・ティース(上)」(ゼイディー・スミス)

2010-01-30 14:46:56 | 
 「ホワイト・ティース(上)」(ゼイディー・スミス)を読みました。作者のゼイディー・スミスは、1975年、ロンドン北西部のウィルスデンで、イギリス人の父とジャマイカ人の母との間に生まれました。この小説は、彼女の処女作で、ケンブリッジ大学在学中に書かれました。

 小説の舞台は、彼女が生まれた移民の町、ウィルズデン。ロンドン下町育ちの優柔不断男アーチーと、バングラデシュ出身の誇り高きイスラム教徒サマード。二人の中年男の交流を中心に、ロンドンに生きる移民の姿がリアルに描かれていきます。アーチーの妻クララは、ジャマイカ出身。クララの母は、同じくジャマイカ出身の「エホバの証人」の信者。作者ゼイディー・スミスの家庭が投影されているのでしょうね。

 上巻では、バングラデシュ出身のサマードと妻のアルサナ、ロンドンで生まれた彼らの子供たちの姿がとても印象的でした。バングラデシュの文化とイスラムの宗教を守ろうとする父も、モスクにも行かず、お祈りもせず、どこの誰ともわからない相手とセックスし、マリファナを吸引する息子も。アイデンティティーの分裂に悩み、寄る辺ない思いを抱えています。

父の言葉
「おれにはいま、なにもぴったりくるものがない、慈悲深き全能のアッラーでさえもだめなんだ。おれはどうしたらいい、ベンガルへもどるか?それともデリーへ?でも誰がいったいこんなイギリス人を雇うだろう?イギリスへ行くか?誰がこんなインド人を雇う?彼らはおれたちのアイデンティティーと引き換えに独立を約束する。」

息子の言葉
「自分、ミラトは、実際はどこの出身であろうとパキであるということ。自分はカレーのにおいがするのだということ。自分の国に帰るべきなのだということ。帰れないならこの国でなんとか稼いで食べていくのだということ。自分はこの国では顔をもっていない、声をもっていないということを知っていた。」

そして、混血(分裂するアイデンティティー)こそが普遍的なのだと語る妻の言葉
「どこまでさかのぼってみたって、この地上で混じりっけなしの人間を一人見つけるよりはね、混じりっけなしの信仰をみつけるよりはね、ちゃんとあう掃除機の袋を見つける方が簡単よ。誰かイギリス人だって言える人がいる?本物のイギリス人だって?そんなのおとぎ話よ。」

たしかに、その通りだと思う。

 ウィルスデンの学校では、クリスマス、ラマダーン、中国の正月、ディワーリー(ヒンドゥー教の祭り)、ヨーム・キップール(ユダヤ教の贖罪の日)、ハイレ。セラシェの誕生日など、さまざまな宗教的、非宗教的行事が行われているのですね。

 さて、引き続き下巻を読みます。