おとついは、この旅始まって以来の雨の一日となる。もはや、南国の雨ではない。宿とした芭蕉ゆかりの地、色浜近くの旅館から敦賀駅までの40分間冷たい雨に打たれただけで体が凍えた。
このような日は、列車で大移動し、石川の大聖寺の深田久弥山の文化館で時を過ごすこととした。
静かな城下町。深田は、この土地で生まれ、この土地で眠っている。
花満開のお濠を通り、まず墓をお参りした。元号ではなく西暦で1971年3月21日茅ヶ岳に逝く 読み 歩き 書いた 志げ子、と彫られていた。同じ石に志げ子夫人が7年後の3月25日に逝かれたと彫られていた。二人は、仲睦まじく静かな墓所に眠っていた。オイラの山登りの原点となった作家に感謝と山の安全を祈って、手を合わせた。
そこから、歩いて10分くらいさきの山の文化館で2時間くらいすごした。深田さんが亡くなる1週間前の講演だという録音で初めて肉声を聴いた。思っていたとおり、無骨で地方なまりの消えない実直な人柄だった。
アルプ創刊号や73年の号で、深田さんや志げ子夫人のエッセイも読んだ。
訪ねる人も少ないが、土地の有志により、しっかり運営されている文化館にお礼をこめてDVDと木の笛をお土産として、館を後にした。満開の桜が冷たい雨に、まだうたれていた。


このような日は、列車で大移動し、石川の大聖寺の深田久弥山の文化館で時を過ごすこととした。
静かな城下町。深田は、この土地で生まれ、この土地で眠っている。
花満開のお濠を通り、まず墓をお参りした。元号ではなく西暦で1971年3月21日茅ヶ岳に逝く 読み 歩き 書いた 志げ子、と彫られていた。同じ石に志げ子夫人が7年後の3月25日に逝かれたと彫られていた。二人は、仲睦まじく静かな墓所に眠っていた。オイラの山登りの原点となった作家に感謝と山の安全を祈って、手を合わせた。
そこから、歩いて10分くらいさきの山の文化館で2時間くらいすごした。深田さんが亡くなる1週間前の講演だという録音で初めて肉声を聴いた。思っていたとおり、無骨で地方なまりの消えない実直な人柄だった。
アルプ創刊号や73年の号で、深田さんや志げ子夫人のエッセイも読んだ。
訪ねる人も少ないが、土地の有志により、しっかり運営されている文化館にお礼をこめてDVDと木の笛をお土産として、館を後にした。満開の桜が冷たい雨に、まだうたれていた。


