川本ちょっとメモ

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安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(4終) ごまかし手法に怒りおさまらず

2015-10-02 17:12:23 | Weblog
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◇憲法9条で許容する自衛の措置=個別的自衛権を事例的に考えてみる

ここで、従来の自衛権解釈で仮定の事例を考えてみます。わかりやすく単純に、素人がする思考実験のようなものです。突飛だとか、まちがっているとか、あり得ないこととか、そのあたりのことはゆるしてください。

尖閣でもめて石垣島などが中国の攻撃を受けた、あるいは新潟県柏崎刈羽原発など日本海側の複数の原発が北朝鮮のミサイル攻撃を受けた、と仮定してみます。日本自衛隊は準備できしだい攻勢に出ます。米国は北朝鮮相手に即座に反撃するでしょう。中国相手なら、米国は即座に反撃せずに調停の道を探るかもしれません。しかし沖縄ほか日本領土内の米軍基地が攻撃されたら、自衛隊も米軍も即座に反撃に出るでしょう。

このように、日本領土が攻撃されて米軍が出動した場合と、日本国内の米軍基地が攻撃されて自衛隊が反撃に出た場合の例は、「我が国に対する急迫不正の侵害があること」という、憲法9条で許容されている個別的自衛権の発動に該当します。

目に見える形で「我が国に対する急迫不正」の攻撃を受ければ、自衛隊は即座に行動を開始するでしょう。これを法の観点から云えば、「憲法9条が許容する自衛権の行使」という法律行為になります。

そして日米安保条約に基づいて米軍が出動。必然的に日米共同作戦になります。共同作戦中であれば、前線戦闘や後方支援のそれぞれの現場で相互に守り守られという関係ができるでしょう。

この場合の「自衛の措置」は、「我が国に対する急迫不正の侵害」である攻撃を受けて、日本が自分の国を守る戦いです。その過程で、自衛隊と米軍の守り守られという共同作戦が発生します。この守り守られという武力行動の形は多種多様でしょうが、集団的自衛権の行使には当たりません。個別的自衛権の行使です。

昨年の7・1閣議決定(正式名:国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について)までは、日本政府公式見解はこういうものであったし、閣議決定が憲法解釈の基礎に置いた1972年政府見解(正式名:昭和47年10月14日参議院決算委員会政府提出資料「集団的自衛権と憲法との関係について」)も同様です。

しかし、この1972年政府見解に準拠して、「従来の憲法9条解釈に関わる政府見解の基本的な論理を守っている」として、従来の政府見解になかった「限定的集団的自衛権」なる概念を作りました。従来の政府見解が約60年にわたって積み重ねて否定してきた「集団的自衛権」のことを、安倍政権・自民・公明は「フルスペックの集団的自衛権」と、国会答弁などで名称変更しています。


◇「1972年政府見解」の基本的論理を維持する(7・1閣議決定)

今回の憲法9条解釈変更が最初に文書化されたのは、昨年2014年の7・1閣議決定
です。この閣議決定の「3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置 」が憲法解釈変更に関わる部分で、これはまた(1)から(5)までの文段に分かれています。

(1)では、「従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠内で、……論理的な帰結を導く必要がある」と、憲法順守の姿勢を示しています。

(2)は、1972年政府見解の文段【3】【4】をほぼそのまま移したような記述です。そして文段の終わりを下の文章で終わっています。サラッと読んでしまうと、1972年政府見解を今後も政府が守っていくという宣言だと思うでしょう? しかし、「基本的な論理」というのは、そうじゃないんです。

これが、憲法第9条の下で例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、昭和47年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料
「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところである。この基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない。


◇自衛権発動の三要件(昭60・9・27 政府答弁書)

本来の姿の三要件を参照しやすくするために、自衛権発動の三要件(昭60・
9・27 政府答弁書)
の抜粋を下に記載します。

 ◇自衛権発動の三要件 ―昭和60年の政府答弁書から―

 日本国憲法第9条の下において認められる自衛権の発動としての武力の行使については、政府は、従来から、

  ① わが国に対する急迫不正の侵害があること
  ② これを排除するために他の適当な手段がないこと
  ③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

 という三要件に該当する場合に限られると解しており、これらの三要件に該当するか否かの判断は、政府が行うことになると考えている。


◇集団的自衛権の行使は憲法上許されると、政府は決めた

(3)は、安全保障環境の根本的な変化に鑑みて、わが国と密接な関係にある他国に対する攻撃をわが国が武力で排除するということ(集団的自衛権の行使)は、憲法上許されるべきだと政府は決めた。そういう文段で、その終わりは下の通りです。

しかしながら、下に言うような事態が起こり得るとは考えられません。たとえば、日本を敵にして侵攻する国があるとして、その目的を遂行するために米国が邪魔だからと言って、世界最強の米軍をまっ先に攻撃する国があるでしょうか? あり得ないことです。

現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。


◇7・1閣議決定 憲法9条の解釈変更「合憲論」の核心部分は(4)

1972年政府見解は「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」という全否定の結論を出しています。政府が言うような限定的とかフルスペックとかの形容詞で検討する余地はありません。その1972年政府見解を持ち出した安倍政権、
自民、公明の集団的自衛権合憲論には「基本的論理」というトリックワードがあると、前回に述べました。

安倍政権は7・1閣議決定で憲法9条の解釈変更をしました。「合憲である」という核心部分は「3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置(4)」です。
(1)(2)(3)は(4)に至る導入部。(4)の全文は下の通りです。

(4)我が国による「武力の行使」が国際法を遵守して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。


◇国際法根拠は誤り、憲法と国際法 順序転倒した思考

自衛権の問題を考える際には、わたしたちは常に「わが国に対する急迫不正の侵害があること」という自衛権発動三要件の第1要件を考えてきました。安易に戦争をしてはならないという自制心や警戒心が身に沁みついています。そして第1要件の発生に対応して自衛権を発動することはやむにやまれぬ行動で、
そういう事態を想像するだけでもいたたまれない気持ちになります。第1要件に対応する自衛権の発動とは、武力の行使です。自衛戦争の開始です。

(4)の文段では、自衛の措置について論じるのでもなく、集団的自衛権の行使について論じるのでもない。なぜか? 政府にとってそれらの作業は既に終わったことです。ここでは、集団的自衛権は憲法9条が容認する枠内にあることを述べています。安倍政権、自民、公明の合憲論。

(4)の文章――「憲法上許容される上記の『武力の行使』は、国際法上は、
集団的自衛権が根拠となる場合がある。」 国際法上、根拠となる。この考えは明確に間違いです。

国際法とは、国連憲章第51条の「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」という件のことです。個別的自衛権だってこの51条に入っているのだから、特に集団的自衛権を国際法上云云と論じる必要がありません。

それなのに、なぜ? 「国際法」というネームの権威で、「外国では当たり前のことで、日本国民が考えていることは国際常識に反しますよ、政府の考えていることが国際常識にかなっていますよ」というシグナルを送っているのでしょう。

それより重要なのは、法思考の上で、政府が憲法より国際法を上位に置いていることです。憲法では交戦権や自衛権の点で縛りが厳しく、政治家の人となりによってはその縛りが苦々しいのでしょう。

「憲法上」と「国際法上」「根拠となる」のつながりで考えれば、憲法の法文で考えるべき課題が国際法に根拠を置いていると、政府が解釈していることになります。この物言いでは国際法を憲法に優先させていることになります。

「根拠となる」というのは、本末転倒、順序が転倒しています。法の位置では、憲法最優先ですから、国際法を盾にして憲法を論じる政府の姿勢そのものに大いに問題があります。

◇安倍政権、自民、公明が言う限定的集団的自衛権を事例的に考えてみる

【1】
A国が日本攻撃を実行に移した。しかし第一撃は日本国境域内や公海上の日本商船や自衛艦ではなく、たまたま日本近海の公海上を遊弋していた米海軍艦艇を奇襲した。日本政府はこの米海軍艦艇奇襲を日本国の存立にかかわると判断。自衛隊が出撃して、その一部は日本領海内はもちろん周辺公海上の米海軍護衛に従事した。――こんなことが起り得るだろうか? 7・1閣議決定の関係個所を下に記載します。

(4)―前半・略― この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。


日本攻撃を企図するA国が、そのための手始めに米国もしくは米軍を攻撃することは全く考えられない。日本を攻撃しても、同盟国アメリカをどんなことがあっても敵にまわすことは避けたいと考えるのが常識でしょう。戦略的に、外交的に、戦術的にどのような方法を講じればアメリカの参戦を防げるか。どの程度までの攻撃、侵略ならば、アメリカは動かないと判断できるか。イラクやアフガニスタンの政権はアメリカを敵にまわして滅ぼされたのです。アメリカの参戦を防げないとしたら、少しでもその不安が残るとしたら、それでも日本攻撃を実行するのか、中止するのか。日本はアジアの大国の一つです。A国にすれば米軍参戦がなくて日本一国だけでも、相手にするのは大変なことです。
【2】
昨年7月1日、閣議決定を済ませると安倍首相はオーストラリアに行きました。
南シナ海やインド洋で中国に対峙して米豪日で海洋協力が進んでいるというニュースがありました。フィリピンは弱小国で、領海問題で中国に対抗できません。それで米日を頼りにしています。オーストラリアかフィリピンがB国から攻撃されて、即日本の存立につながることはあるでしょうか? あるとしたらどんな事態でしょうか? 考えても今のところ私にはわかりません。

7・1閣議決定や安保法文で「密接な関係にある他国」と言うのですから、政府中枢では近い将来に密接になろうとしている想定国がある可能性があります。
安倍首相は海外へ行くたびに、その国の議会で、そして国際会議で、国連で、
英雄的な演説を行います。

近い将来にどこかの国とわざわざ密接な関係になって、危ない関係を深めて、
「わが国の存立の危機」であると、日本の国家安全保障会議に決断されたのでは、平和な日本を誇りに思う私は死んでも死にきれません。

何回もくり返して言っているように、1972年政府見解は結論として、次の一文を締めくくりとしています。「いわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないと言わざるを得ない。」

こんなに明白な結論を持つ1972年政府見解に基礎を置くと言い続けて、これほど別物の回答を編み出す頭脳や人間性を恐ろしいと思います。昨年5月以後ずっと、怒りがおさまりません。


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<私のアピール>
2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則を廃し、特定秘密保護法の新設、憲法9条解釈変更閣議決定(※憲法違反です)、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)改訂、安保関連法成立と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。安倍内閣はデモクラシー日本を食い破りつつある危険な内閣です。その政治手法は民主主義下の独裁と見えて、危険です。安倍総理退陣まで、憲法違反の安倍政権、安倍内閣を支持する候補者・政党に、来年7月参院選で“No”を!


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