オールドヨットマンの残日録・ZANJITSUROKU

相模湾に育てられて60余年、ヨットレースや仲間との思い出を大切に、これからの日々を健康で明るく楽しく、絵日記に綴ろう。

化粧なおし完了、クルージングへスタンバイ !

2013-07-31 12:29:00 | 日記


 やろうやろうと言っていながら、なかなかできなかった船の化粧なおしがやっとできた。 当初は自分で船底の塗りなおし、と思っていたが、ズルズルと夏まできてしまい、船底だけは岡本にお願いすることに。 デッキのチークの汚れ落とし⇒チークオイルの塗り込みと船体磨きは自分たちの手で行った。font>
長いあいだの船体のキズも、パテとグラスマット・樹脂できれいになった。 8月にはいざ、クルージングへ。

番外編 札幌・すすきのの夜

2013-07-25 11:49:27 | 日記
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 小樽に宿泊した翌朝、Aoxxグループの二人と小樽駅で別れた。 私は、北海道に来たからにはニセコのYMちゃんに会おうと、苫小牧出港の前に連絡を入れておいた。 YMちゃんは会社のヨット部仲間で、10年前に会社を退職してニセコに移り住んだ。 東京のサラリーマンを辞めて林業の道を選んだ、まるで国木田独歩の「牛肉と馬鈴薯」を地でいった男だ。 現実に迎合・妥協して東京で牛肉を喰うか、馬鈴薯を喰いながらも北の大地で志の高い暮らしをするか、といった内容だったと思うが・・・。 現代の宮澤賢治のような不思議な存在ながら、その決断には敬服するのみであります。 因みに歳は私より一回り半ほど若い。

 そのYMちゃんと札幌駅で待合わせ、すすきのにほど近いホテルに荷を下ろした。行き先は彼に任せて「すすきの」に繰りだした。 カウンターとテーブルが二つくらいのイチゲンさんは入りにくいが居心地のよさそうなその店はどうやら彼の行きつけらしい。愛想のいい女将さんと、ガンコそうな店主だったがすぐに打ち解けた話ができた。 沖縄が好きで毎年行く話、旭岳に登った話、などなど気取らず気さくな人柄に、美味しい料理、旨い酒、ついついYMちゃんと同じペースで呑んでしまった。 約2時間、「また来ますッ」と言ったら「いつでも歓迎」と言ってくれた。  2軒目はやきとりにどぶろく、もう彼のペースにはついていけない・・・。 ホテルに戻ってバタンQ、そのまま朝までグッスリと・・・。

 翌朝、彼の車で空港まで送ってもらった。 シニア割引の空席待ちだったが、すぐに席が取れた。
 彼はニセコに古民家を買い、自分でコツコツとリフォームしているらしい。 「今度の冬はみんなで来てください」と言われた。 「ホントに行くからね」と言って別れたが、彼のおかげでさわやかな気持ちで帰途につくことができた。 感謝感謝。

4日目 小樽港入港、下船、そして小樽の町

2013-07-24 22:51:55 | 日記
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帆船・海王丸はバーク型4本マスト、前からフォアマスト・メインマスト・ミズンマスト・ジガーマストで全長110メートル。デッキの下は4階建てで、下2階はエンジン・機械室、3階が実習生・研修生の居室、風呂・トイレなど、4階が船長・士官・甲板員の個室に厨房・食堂、教室などとなっている。 横帆は上から、ロイヤル・アッパーゲルン・ロワーゲルン・アッパートップ・ロワートップ・コースとなっていて、それぞれ前にマストの名前がつく。 セールの調節は風上側を引くことをブレースイン、風下側を引くことをブレースアップという。 これらのセールをマストごとに担当する士官が号令をかけて展開していく。 因みに、「引け」は「ホールタイ(Haul Tight)」、「出せ」は「イーズアウェイ」と言う。

 いよいよ4日目、船を下りる日がきてしまった。 起床、整列・点呼・体操・朝食のあと抜錨作業~入港となる。キャプテン以下、全員配置についたところへ2隻のタグボートが到着、ゆっくりと入港し着岸した。 13時、全員が整列し見守る中、キャプテンから「修了証」が手渡され、挨拶をいただいた。 これからも船員として巣立つ実習生を応援してほしい。練習船・海王丸を見守ってほしい、と。 後部甲板から下船階段まで、実習生が両側に整列し拍手で送ってくれた。 下船口に正装して待つ士官たち、最後にキャプテンにお礼を言って、船尾に掲げられた国旗に敬礼しタラップを下りた。 お礼の言葉を用意していたのに、胸が詰まって「ありがとうございました」しか言えなかった。 バウデッキからボースンが見送ってくれていたので「ボースン、写真を撮らせてください」と言うと「おう」と言って帽子をとってくれた。 肝の据わった厳しくも優しいボースン、こうありたい、と思う記憶に残る人、「クールヘッド&ウォームハート」・・・・。

 下船後、小樽運河前のホテルにチェックイン。油壷Aoxxグループの二人と若い海事弁護士のAさんと4人で町を散策し今宵の店の目星をつけておく。 シャワーに入ってサッパリとしてから、運河沿いの倉庫にあるビアホールに突入した。 無事入港を祝って乾杯したが3杯呑んだところでもう出来上がり、ラーメンで〆てホテルに帰ったが、いつのまにか眠ってしまった。

 思えば素敵な航海だった。 日本の船員を育てるプログラムを目の前で見ることができたのは大きな収穫だったと思う。また、九州のヨットマンをはじめ、いい仲間ができた。 健康でさえいれば、まだまだたくさん楽しいことがあるだろうと思う。
    - おしまい -    このあと番外編へ

3日目 神威岬~積丹岬を越え小樽沖へ

2013-07-24 17:14:52 | 日記
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 ここまで、穏やかな航海が続いている、予定より早いペースだ。 昨夜もベタ(凪)になり機走7kt、左エンジンだけで走る。左エンジンだけなので少し右に行こうとするのを舵で修正しながら神威岬に向けるが、コースの修正の仕方を実習生に教えていた。 朝方、もう小樽沖、これから錨泊の作業に入る。 北の風、さし網の赤い旗に気をつけながら、2隻の貨物船の間に泊める予定で、これから何をどうする・今何のために何をしているかをスピーカで実習生に説明しながらの作業だ。  ブリッジにはキャプテンと三等航海士と操舵手、バウに一等航海士、スターンに二等航海士を配し実習生も配置につく。 水深19メートルのところ、左舷のアンカーでチェーンは6節(1節は27.5メートル)の指示がでる。右アンカーは緊急時に備えて少しチェーンを出してスタンバイ。 キャプテンの号令でアンカーレッコ、チェーンの長さ・方向が細かく報告され、無事終了。        
 今日はこれから機関室でエンジン・発電機・ボイラを、通信室で無線通信・電話などを見学する予定だ。  海王丸のエンジンはヤンマー1500hp×2基、可変ピッチプロペラが装備されていて、前進Fullから後進Fullまで、回転数を変えることなく切替ができるという。 (日本丸は固定ピッチプロペラ) このほか発電機3台、予備発電機1台、ボイラーが装備されている。 毎日、細いステンレスの棒をエンジンに当てて耳に伝わる音を聞き異常がないか確認しているという。 早期発見による予防保全が基本とのこと、う~ん確かに!! うちの船も見習わなくちゃ。 続いて通信室・アンテナも見学した。 海王丸では最新の装備をしているが、それを表示するのは、実習生用に目で見てわかるアナログで表していた。 一般商船ではコンピュータで処理して画面に表示しているらしい。 さすが練習船。 
 午後は、火災発生時の模擬訓練と落水者救助訓練を行い、中味の濃い一日を終えた。

 夕食後、バウデッキで教官・指導員と意見交換、3日間の研修の総括が行われた。 研修生からは感動と感謝の言葉が多くあったが、私は感謝とともにハワイへの強い意志を伝えた。
 明日はいよいよ小樽港へ入港、残念だけれど下船しなければならない。   
- つづく -

2日目 津軽海峡を抜けて日本海へ

2013-07-22 12:38:12 | 日記
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 17日、2日目。潮の流れが速く、いか釣漁船で賑わう夜の津軽海峡は、安全のため機走で通った。 朝6時起床、実習生・研修生とも6時25分には後部甲板に集合・整列(5分前の精神)。 6時30分点呼・人員報告。今日は私が当番の日、「研修生B班10名よろし」と報告。 体操のあと、やりたかったウォッシュデッキ。デッキに海水を流してヤシの実で磨く、チークのデッキが素足に吸い付くようで気持ちがいい。 7時30分朝食、朝からドンブリ飯を食べた。 食事はうす味でダシがきいていて美味しい。 船は津軽海峡の西の端、白神岬をぬけて日本海に入っている。 左舷には奥尻島の手前の大島が見えている。 10時、この航海の最大のイベント、研修生のマスト登りが始まる。 三等航海士による注意事項の説明、3点支持、手はロープではなくリギンを掴むこと、体は起こして足で登ること、等々。 自信のない者は見学だが、第1グループに志願した。 上に上がるにつれて足場の縄が狭くなる、手は汗でビッショリ。メインマストのトップ台に到着、最後の所はオーバーハング状態で、ボースンが手で持つところ・足をかけるところを丁寧に指示してくれたので台の上に立つことができた。 船はまさに奥尻海峡のド真ん中、左に奥尻島、右に渡島半島の山々が見える、最高の気分だ。 登っている途中、指導員の方が上から写真を撮ってくれた。 慎重に一歩づつ降り、デッキに到着、全員が拍手で迎えてくれた。 高校生のW君も航海士志望の女性も登った、笑顔が弾けた。

午後は実習生による展帆、いよいよセーリングに入る。 今回で3回目という実習生だがドンドン登っていき、ヤード(帆桁)の上に広がっていった。 二等航海士の気合の入った号令でセールが広げられていった。 風力6、風速13~14メートルのため一番上のロイヤルは展帆せず、アッパーゲルンヤードから下を展帆した。ベテラン甲板員がヤード上で励ましながら指導し、肝の据わったボースン、航海士たちの力のこもった指導がとても印象に残った。 デッキでは広げたセールのトリム、「メイン・アッパーゲルンスル・ブレースアップ・ホールターィ」の掛け声でシートが引き込まれていく。 全員で力を合わせての作業だ。   今日は作業に参加しなかったが、日本の船員がどのように育てられていくのか、その過程を間近で見ることができ、感慨深い一日となった。      -づづく-

1日目・海王丸の研修生として乗船、苫小牧を出港

2013-07-21 22:24:42 | 日記
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 7月16日朝8時、苫小牧港に停泊する帆船「海王丸」に乗船した。一等航海士、主任教官、指導員によるオリエンテーションのあと乗船式が行われ、士官が整列するなか、船長より「乗船を許可する」の口頭辞令と歓迎する旨のあいさつをいただいた。 我々研修生は20名、最年少は17歳の高校生から30代40代、私と同じ60代も数名いる。女性は10代を含む4名。 このほか、7月初めから乗船しているのは、船乗りを目指す全国の海技学校の生徒が実習生として90名乗っている。彼らは皆10代で、9月末まで乗って国家試験を受けて卒業し、晴れて船員になるという。 船長、仕官、甲板員、司厨員ら乗組員が60名、全員合わせて170名での航海が始まる。 14時45分、苫小牧市長、大勢の市民が見送る中、実習生による登しょう礼で出港した。我々研修生もコンパスデッキに整列し帽子を頭上で回してあいさつした。 向かうは津軽海峡の入口、恵山(えさん)岬、コース205度52マイルの行程だ。 私はハンディのGPSに要所の緯度・経度を登録してポケットにしのばせてきた。機走で10kt、オン・コースを確認した。  私たち社会人研修生に意外な役割があることがわかった。 指導員から、「実習生の若者たちとたくさん話をしてほしい」と言われた。 彼らはこの航海でさまざまな知識と技能を身につけるが、就職したあとの会話力が心配なのだそうだ。 思いのほか歓迎されている、と実感した。  アルコール類は就寝前にたしなむ程度は許されているが、小樽到着まで呑まないでおくことにした。   -つづく-

帆船・海王丸の航海に行ってきますッ。

2013-07-15 07:57:34 | 日記
 本日より一週間の予定で、海王丸に乗ってきます。 気力・体力も含めて、「準備万端・シルビーバルタン」。 今夜は苫小牧泊、われらの仲間も、会長以下、東北軍団が鳥羽レース回航に出発する予定で、副会長はレースに乗る予定。 8月になればクルージングの計画もあり、夏の終わりの報告会(宴会)が楽しみです。 

大日本泥鰌愛好会総会

2013-07-06 11:35:54 | 日記
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 梅雨時のうっとうしさを吹き飛ばそうと、毎年この時期に「大日本泥鰌愛好会総会」が開催される。 7月5日金曜日、西浅草の飯田屋で今年も催された。 会長は40年来の盟友、SK井さん、赤坂に事務所を置く保険代理店の社長。 事務局長はSK根さん、横浜・関内で不動産会社を経営している。  例年、参加するメンバーはだいたい決まっているが、今回は男10名女子4名、会長・事務局長の学生時代の友人やヨット仲間が中心だ。 趣味の話、健康の話、老後の話などなど、「どじょう」と「お酒」と「楽しい会話」を楽しんだ。  某広告代理店に勤めるSR野さんから、毎日の健康法として「肛門締め」という貴重な話をうかがった。 「前立腺や・頻尿」に絶大な効果があるという。 若い頃に比べて話題も変わったもんです。   会長のSK井さんは、1970年代に関東水域で年間のレースを総なめにしたS&S設計「竜王」(J-600)のバウマンで、スタートラインでバウに立つ彼を見て、羨ましい・くやしい、いつか俺も・・・、と思ったもので、その後、54ftの「都鳥」で一緒に乗り、英国遠征(アドミラルカップ)、NORCレース委員会など、濃い時間を共にした海の仲間です。   この日呑んだお酒は生ビールから始まり、常温の日本酒は4升を超え、元気を分かち合ってそれぞれの人生に帰っていきました。 また来年の総会で。