オールドヨットマンの残日録・ZANJITSUROKU

相模湾に育てられて60余年、ヨットレースや仲間との思い出を大切に、これからの日々を健康で明るく楽しく、絵日記に綴ろう。

悲しいお別れ

2017-02-02 18:39:07 | 日記

 昨年10月22日、J-SAF(日本セーリング連盟)レース委員長の川上 宏さんが60歳の若さで亡くなりました。

 川上さんは私の在籍していたN社の関西ヨット競技部の重鎮で、2年と少し前の平成26年11月にN社東京ヨット部とともにレース委員長就任のお祝いをしたばかりで、これから東京オリンピックの準備に向けて力を発揮していこうという矢先の訃報でした。
 彼は470級のロスアンゼルスオリンピックの強化選手として、東京のダイゴロー選手やKM田リザエモン選手らとともに、国体・全日本・実業団のレースで競いあったライバルでもあり、同じN社の兄弟チームでもあり、東西両チーム全体で盛り上げていった時代の良き仲間でした。
 その後、後輩のO津・HR部組がバルセロナオリンピックの日本代表として羽ばたいていきました。



 お別れ会は、J-SAF・兵庫県連・近畿大学、それにN社の共催で、黙祷ののちJ-SAF会長の弔辞で始まりました。
 国体運営をはじめ若いセーラーの育成、海の甲子園の企画・実行などなどの実績の紹介と、これから力を発揮してもらう筈のオリンピック準備への期待が高まっている中での訃報にとまどう声が多く、私も期待していた一人としてほんとうに残念でなりません。
 高校・大学・N社と、川上さんの後についてきたO津選手の弔辞には心を打たれました。
 奥様の「主人を江の島のオリンピックに連れていって・・・」の言葉には涙が溢れてきました。
 当日、会場だけでも300を超える人々が川上さんとの別れを惜しみ涙しました。



 お別れ会が終わってもまだまだ続きます。
 2年と少し前、委員長就任のお祝いをした明石大橋の袂のホテルには、N社関西・東京のヨット部OB・現役が全国から集まり、思い出話、今後へ向けてなど話あいました。
 現在は秋田に帰って、ジュニアの育成や国体のの監督をしているKM田選手は、レースで競い合ったと言って呑んでは泣き、お世話になったと言っては泣いて呑み、お酒かいくらあっても足りません。
 福島は喜多方から来たヤヘイ選手いわく、オヤジが死んでもこんなに涙は出なかったのによう、と。
 関西の元監督のMZ崎さんは、落胆と心労で何をする気にもなれない、と言って心配させます。
 こちらにも気合を入れてもらわなければ、と話を聞き活を入れていきます。

 翌日もまだまだ続きます。
 2年前、みんなで歩いた橋の袂の公園に行きます。
 この日の朝もお昼も、呑んでは泣き、泣いては呑んでの思い出話です。

 今日を境にみんな前を向いて行こう、MZ崎元監督と約束です。
 東京オリンピックを成功させよう。 江の島のセーリングを成功させよう、と。


   H26.11.8 レース委員長就任のお祝い会の1枚です。