オールドヨットマンの残日録・ZANJITSUROKU

相模湾に育てられて60余年、ヨットレースや仲間との思い出を大切に、これからの日々を健康で明るく楽しく、絵日記に綴ろう。

ベイサイドマリーナ説明会

2020-02-24 14:06:57 | 日記
 
 今年開催されるオリンピック、ヨット競技11種目が江の島で行われます。 競技をスムースに進めるため江の島に置いてある船は期間中他のマリーナに一時避難します。
 期間は概ね5月から9月まで、我らの船は横浜のベイサイドマリーナに兄弟船Mプティとともに行くことになり、22日土曜日、ベイサイド側からの説明会があり参加してきました。



 江の島から行く船は50~60艇いるのでしょうか、会場の会議室はほぼ満席です。
 一昨年から江の島で始まった事前説明会は結構荒れましたが、いざベイサイドに来て、担当者からの「いたれりつくせり」の説明を聞いて皆さん静かでしたね。 セキュリティから各種サービスの説明、周辺のクルージングスポット、連絡さえすれば舫をとりに担当者が桟橋まできてくれる、などなど。
 江の島は「許認可」の公営マリーナ、こちらベイサイドはお客様あっての民間マリーナです。 サービスの姿勢がちがいます、「みなさまぜひ楽しんでください」との言葉に文句のいいようがありません。
 同席している県の担当者も江の島の荒れた説明会とちがってキョトンとしています。
 私たちのチームは昨年のワールドカップの時にこちらに1ケ月半ほどお世話になっているのと、ベイサイドマリーナに興味があったことで早くからコチラを希望していました。



 説明会はお昼に終了、一緒に来ていたMプティのT川姐さん手作りのお昼ごはんをいただきました。
 私は車なのでビールは無し、でも想定外の美味しいお昼をいただき、また、今後のことなどいい話ができて楽しいひとときでした。



 こちらにはGW前後に回航してくる予定で、今年の夏はこちらで迎えます。
 まもなく隣接するアウトレットもリニューアルオープンする予定、マリーナが企画してくれる「江の島艇歓迎レース・パーティ」、マリーナ主催の花火大会など江の島では味わえないイベントも含めて楽しくやりたいと思っています。


 

サトちゃんと沖縄レース

2020-02-09 11:56:29 | 日記
1970年代から80年代、日本の外洋ヨットレースが最も熱い時代だったと思います。
沖縄返還をきっかけに始まった「沖縄~東京」レース、1978年に相模湾・佐島で開催された「クォータートン世界選手権」と前哨戦の選考レース。
そして各艇の海外レースへのチャレンジなどなど。
「神子元島レースには60艇、鳥羽パールレースには150を超える艇が参加した時代です。
頼りになるヨットマンのことを「アイツは潮ッ気のあるヤツだ」などとささやかれていました。
その熱い時代を相模湾で過ごした私、当時は夢中でしたが今は幸せないい時代を過ごしたと感謝しています。

その「沖縄~東京レース」、私的には第2回から第6回まで連続5回参加しました。(第1回は本部運営)
サトちゃんとは、1978年の第4回と1980年の第5回を一緒の船に乗りました。
そしてそして、2回とも「総合優勝」を果たしたのです。



 サトちゃんはもとよりセーリングのプロ、私の主な仕事は、天気と気圧の動きに注意をはらうことと、海上保安庁との定時無線交信(ロールコール)の結果、ライバル艇の位置を確認・海図上にプロットすることでした。
 あまり喜怒哀楽を表に出さない人でしたが、さすがに優勝の時はうれしそうでしたね。
 おかげで3カ月間毎日「乾杯・乾杯」の連続で浴びるように呑んだものです。

 その「沖縄~東京レース」以降、一段と二人の距離が縮まったように思います。
 困ったときはサトちゃん、何かにつけてサトちゃんになりました。



 亡くなって3週間がたち、今は感謝の気持ちでいっぱいです。
 「サトちゃん、ありがとう」 ゆっくりと休んでください。
 

ずっとサトちゃんのことを考えています。

2020-02-01 11:33:28 | 日記
 1月17日にサトちゃんが亡くなってから2週間、ずっとサトちゃんのことを考えていました。
 思い出などという安易な言葉ではいい表せない50数年です。



 ここ何年か、私の顔を見るたび、電話するたびに「おいでよ」と誘ってくれた「座間味レース」、ポスターも彼がくれました。

 サトちゃんと私は第1回座間味レース(1978年)一緒に乗って優勝しました。
 5年前彼が沖縄に移り住んでから毎年お誘いをしてくれたのですが・・・。。
 ちなみに、このレースの本部運営はO蔭兄がやっています。

 今年のレースには行こうと思っています、彼の散骨のためにも。



 20代の後半から30代半ばにかけて一緒に乗っていた「旭Ⅱ」(S&S36)です。
 この写真は相模湾ポイントレース、スタートから葉山のマークまでダントツでした。
 復路のスピンランでは、ニュージーランドの「クリス・ボウサイド」の乗る「サンバードⅡ」にやられてしまいました。
 この写真は、故岡本甫さんの撮影、「舵誌」にも大きく掲載され、また、劇画ゴルゴ13のワンシーンにもこれと同じ絵がでていました。
 数年前、舵社がカレンダーにしたもので捨てられません。 

 この艇では、サトちゃんのほかKCCの通称ゲゲ、ブッシュ、現在はセールメーカーのIG嵐選手たちと多くのレースに出場、「神子元レース」などでも優勝、油壷時代の思い出がたくさん詰まっています。
                                                               

 今から30年近く前、私が勤務していた会社の記念行事で、社員だけで海外ヨットレースに参加するという企画が持ち上がり、私がチームキャプテンとして任された時のこと。
 ヨットが初めての社員も含めて2年間トレーニングをしましたが、サトちゃんには技術的なこと・精神的なことも含めてずっと助けてもらいました。
 ときにはやさしく、ときには「バカヤロー」と言ってひ弱なチームを強くしようとしてくれたのです。
 そして1992年のハワイ「ケンウッドカップ」には同行してくれて、3日間帆走しつづける「カウラレース」には一緒に乗ってもらいました。
 そしてその「カウラレース」はニュージーランド・オーストラリアチームを抑えてクラス優勝でした。


 3年前東京で、海の仲間「のこさん」(アオレレチーム)のお別れ会のとき、彼は沖縄から花を贈ってくれたのです。
 明るい「のこさん」のイメージに合わせて「ひまわりを」と指定したのはサトちゃん自身だそうです。



 これからも思い出すたびに紹介しようと思います。