叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 「新・仏教教室」 八十四

2009年06月10日 | 新・仏教教室

 幸、不幸を決める因果 *
ジッチャン、
「前回でケイタくんに、なんの心配もなく、ただ題目を唱えていけばいいん
だよ、と言いましたが、それについての御書があるので紹介しましょう。

「即身成仏( その身そのままで己心の仏界を開くこと )は、
今我が身の上の天性なり、( 中略 ) わずらいもなく障りもなき衆生の
運命なり果報なり冥加なり。」

 総かん文抄より抜粋 P 565

この御文にあるように、私たちが大聖人の教えどおりに信仰していくと、
一生のあいだに仏界を現す( 崩れることのない絶対的幸福になれること )
は、定まった運命であり、 決まっているのだから、 途中なにがあっても、
安心して信仰に励みなさい。 と仰せなのです。

冥加というのは、身に過ぎた幸せでありがたいという意味で、これが御本
尊をたもった人の果報であると言われているのです。

御本尊をたもち題目を唱える人が、いかに果報者であるかここを読めば
分かるでしょう。」

ケイタくん、
「ジッチャン、ありがとう。ボクはガンバってジッチャンのように題目の鬼に
なりますから、安心してください。」

ジッチャン、
「別に鬼にならなくてもよいと思うが・・
ところで生命の体( 三如是 )と生命の働き( 七如是 )について述べたが、
三如是と七如是を足した十如是についてもっと詳しく見ていこう。

かくの如き相、性、体、というのは、
たとえばケイタくんは、このような相、性、体であり、ジッチャンはこのよう
な相、性、体であるが、姿や性格に違いはあっても、相性体の三如是で
現れるのは共通しているのだ。これはすべての人に共通していることだ
がね。

次に働きである七如是について言えは、
かくの如き力、作、因、縁、果、報、本末究境等で、
ケイタくんの七如是と、ジッチャンの七如是は当然違うわけだが、
ナゼ、どのように違うのかというと、それは因によって決まるのだよ。

 だから七如是の中で因がいちばん大事であると言えるね。因には通常、
善因と悪因の二つがあって、善因は善い果報( 幸福 )となって現れるが、
悪因は悪い果報( 不幸 )となって現れると決まっているのだ。」

次回に続く   


 


 

   



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