叙事詩 人間賛歌

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人間は何をしに来て、どこえ行くのか 二十二

2008年08月27日 | 人間は何をしに来て、どこえ行くのか

 朗読続き 「死は存在しない」

 いままで主に外国の例をあげたが、日本の場合を見てみよう。
日本史で有名な織田信長は能の敦盛を好み、その中の一節、

 「にんげん五十年  化天のうちにくらぶれば 
  
  夢まぼろしのごとくなり 」

と謡って舞ったことがよく知られている。
化天というのは仏教説話にでてくる他化自在天(人間の住む世界を支配
する主の意)の住むところとされ、

一説によれば、この世の百年が化天の一日一夜に当たるといわれる。

 その信長に仕えた豊臣秀吉は、死にのぞんで、

 「露と立ち 露と消えぬる我が身なり

  難波のことは 夢の世の中 」

の和歌を辞世の句に残している。

信長も秀吉も永遠からみれば、この世は一瞬に過ぎず、まるで夢をみてい
るようなものである。
との死生観を持っていたことがうかがわれる。

経営の神様として尊敬されている松下幸之助翁は、少年のころ船の上から
海に落ちて九死に一生を得たことがある。翁はカナヅチ(泳げないこと)であ
った。
 後年翁は、

 「カナヅチだった私はあの時てっきり死んでいたはずだ。
  それが運よく近くで釣りをしていた漁師に助けられて、命びろいをした
  のだ。
  その時のことを思うと、どんなにつらいことがあっても、自分にはきっと
  何か出来るはずだ。と自分で自分を励まして今日までやってきたのだ」

と述懐している。
若いときそのような体験をした翁は、生命について、

 「いのちというものは、たとえて言えば、溶鉱炉の中で真っ赤に焼けた
  鉄みたいなものだと思う。
  その鉄がナベやカマになったり、ときには鉄砲になったりして世の中
  の役に立つ、形はいろいろであっても鉄であることにかわりない。

  そして年数がたって古くなったり、使命を終えるとまた溶鉱炉の中に
  戻って造りなおすのだ。
  これと同じように命というものは一回かぎりりのものではないと思う」

と語っている。

 以上の例でも分かるように、
なにか大きな事業を成し遂げた人たちに共通しているのは、生命は今世
だけで終わらないという死生観をもって生きたということである。

つづく   



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