叙事詩 人間賛歌

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人間賛歌 賢聖の境涯 六

2006年12月22日 | 賢聖の境涯

  聖徳太子 続き

 聖徳太子が遣隋使、小野妹子らを派遣し、
中国の文化、学問、諸制度を導入したことは有名だ。

太子は高麗から渡来した恵滋、百済からの渡来人慧聡を師にして、
仏教を学んだが、その理解の深さは両師が、
舌をまくほどであった。

太子か著した、
「法華義ショ」 「ユイマ経ギショ」 「ショウマン経ギショ」を、


注、義シヨとは経の意味を解釈した講義書のこと、

師の恵滋が高麗に持ち帰り、
広めたのをみても、その辺の事情がわかる。

それらの義ショの冒頭に、

「ヤマトの国、ウエノミヤ王.聖徳太子自ら撰述したもの、
海のかなたからの書ではない」

と記している。

尚、近年敦煌で発見された、ショウマン経ギショが、
太子か著したものと同一である、と言われるので、
太子の著書は朝鮮を超え、
中国にもわたったものと、推察できる。

太子の業績のなかで、もっとも有名なのが、
十七条の憲法の制定である。
太子は朝廷の権威を高め、武力に頼るそれまでのやりかたを改め、
法によって国を統治した。

十七条の憲法全体を貫くのは、和の精神であり、
力による争いごとを排し、話し合いによって諸事を決する、
合議制を尊重した。

主な条文を取り上げて列記しよう。
当時の人が高度な精神性を持っていた事に、
驚きを感じるだろう。

注、聖徳太子の言葉や、十七条の憲法の条文などに、古文がでてきます。
古文を読むのが今ハヤっていますが、意味がよく分からなくても、
太子の文に接すると、高貴な人格にふれたような感動がわいてきます。

できれば声をだして読むと、美しい日本語の原点と、高貴な精神の故郷に、
帰ったような気がしてきます。

つづく