叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 人の生命活動 五

2006年07月16日 | 人の生命活動
 前回のつづき
 
 自分のことしか考えない利己主義者は、境涯の低い人で次のような
生命活動をする


 生まれるたびに 貧乏で
 親 兄弟 親族の 仲が悪く
 争いの絶えない処に 生まれ
 口の息が常に臭く 人に嫌われ

 貧相で 卑しく
 他人にこき使われ 病気がちで
  頼れる人もなく
 人に取り入ろうとしても
 人が 相手にしない

 少々の財を得ても すぐに失う
 人に背かれ 盗みにあい
 災難が いつもついて回って
 離れることがない

 常に苦悩の境涯に いるのに
 自分では それに気づかず
 地獄 餓鬼 畜生 修羅の悪道
 (苦悩する境涯)にいることが
 常であり
 自分の住む 居宅にいるようである


 以上、二つの例は法華経に出てくる説話である。
法華経ほど各国語に翻訳された経典はない、と言われるぐらい
世界中で読まれているから、みなさんも一度や二度は耳にした筈だ。

 法華経は釈迦が生涯で説いた教えの中で、最高の教えと言われ、
日本でも聖徳太子を始に、連綿とその思想は受け継がれてきた。
みなさんは忘れているが、日本に縁の深い経典なのだ。

 法華経は、妙法蓮華経のことだが、なにを説いているのか、
釈迦が悟った生命の実体を、明らかにした経典なのだ。


 生命は 始もなければ 終わりもない
 生じたり 滅したりせず 永遠にある
  これが生命の実体だ

 生命の実体が 生命活動をするとき
 「生命の働きを用(ゆう)という」
 個の姿を伴って現れ 個は
 生滅を繰り返しながら 続いていく

 古くなった道具を 新しいのに替えるように
 歳をとり 不自由になったからだは
 いつたん死んで また新たに生まれてくる
 そして前の続きを やるのだ
 これが生命活動(用、ゆう)の実態だ


 法華経に
 方便現涅槃「ほうべんげんねはん」
 而實不滅度「にじつふめつど」
  の文がある
 新しく生まれるために
 方便として 死を現すが
 實は 滅していないのだ の意味だ

 しかし人々は 生命に 
 体と用が あることを知らない
 用を生命の全てと 思い込み
 用の中断を 死と思い 恐れるのだ
 これが 人間がたどってきた
 不幸の根源であるが それに気づかない

 釈迦は 生命の実体を 仏性「釈迦の悟った永遠の生命」
 とも 妙法蓮華経ともいい
 すべての生き物に 仏性がある と教えた
  これが法華経である