かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

この冬一番の寒波到来

2011年01月16日 | Weblog
前回、雪が積もったときは、どちらかというと、里雪でした。山間に入っていくほど、雪が少なかったですね。今日の朝、中津駅に行く用事がありました。今度は、中津の街に行くほど、雪が少なかったです。中津の街はほとんど雪が積もっていませんでした



 天気予報では、土日にかけて、この冬最大の寒気がやってくることを予報していました。最近は、ほとんどその予報が的中します。


「センター試験を受ける受験生は、早めに会場に行くようにして下さい。」とまで言っていました。


あたりです。昨日の午後から雪が降り始めました。




 夜間もないころには、もうすでに道路には、雪が積もっていました。今日の朝、中津駅に行く用事がありました。事故を心配しましたが、4つのタイヤには、スタッドレスそして、4駆なので、よほどスピードを出さないか、相手がぶつかってこない限り、大丈夫かなと思い中津駅に向けて出発をしました。



 今日の道路は、三光までアイスバーン状態でした。行き交う車もゆっくりと走っています。スタッドレスをはいていても滑り出したら止まりません。以前、カーブを40キロで曲がったときにくるっと一回転をしました。がけに激突しそうなところで止まりました。道路の状態では、ふつうならなんでもないスピードでも曲がるとき操作がきかなくなることがあります。




 また日田に勤務していたときは、装備をしていなかった車が坂の上から、すべってきました。あと3センチのところで止まりました。すべってくる車を足で止めたら、それ以上動きませんでした。その隙に急いで車が滑ってきてもぶつからないところに自分の車を移動しました。いろんなことが予測できるので、やはりアイスバーン状態は、緊張しますね。



 
 今日は、何台か、道路の脇に車が落ち込んでいました。それをどこかの放送局が取材をしていました。中津の街に入ると、ほとんど雪がありませんでした。雪がない街の人からすると、山間のアイスバーンは想像ができないでしょう。




 危険なことは、考えなくて、雪景色はとてもきれいでした。五馬に勤務していたときの雪景色を思い出しました。でもやはり季節には、季節に似合う景色が似合いますよね。2月になると、温かく感じる日も多くなるでしょう。それまでは、ちょっとだけ冬を楽しみましょう。写真は、家の前の川の小友田の方の雪景色の様子です。




 今日の寒さに備えて、ビデオ店でDVDを借りてきました。夕方は、お悔やみに行くので、午後のひとときちょっとだけのんびりDVDを見ながら時間を過ごしました。

大切にします~ありがとう~

2011年01月15日 | Weblog
 先週の木曜日、勤務を終えて学校を出ようとしたら、教えた生徒のかずきくんがやってきました。いつか何気なく言った言葉を覚えてくれていて、ペーパー置きを作ってくれていました。とてもよくできていて、早速使っています


 かずきくんは、工科短期大学に進学をしています。機械システムについて学んでいます。自分が決めて進学をしていったので、いろんなこと意欲的に取り組んでいます。

 

 進学をしたときに、授業の中で、金属加工をしていると聞いたので、ペーパー置きなどを作ってと頼んでいました。かずきくんは、それを覚えていて、先週の夕方それを持ってきてくれました。ペーパー置きは、もちろんですが、覚えてくれていた気持ちもとても嬉しく思いました。組み合わせパズルのようになっています。驚くほどなかなかよくできています。

 

 久しぶりに会うかずきくんは、風貌も頼もしくなっています。学校に来てくれたときには、実習の服を着ていたこともあって、いちだんと大人っぽく見えました。



 ペーパー置きは、しっかりと研磨もされていてピカピカと光っています。金属だけにずっしりと重く、紙の上にのせると、風がふいても紙は間違いなく飛んでいくことはありません。何かと文書などが回ってくるので、さっそく使っています。




「重いですね。」と学校の先生たちの言葉。大切な宝物になりました。ありがとう☆写真をとったのだけど、デジカメのカードを学校に忘れたので、また明日、ペーパー置きの写真を載せますね。

「ルーティン」って何?

2011年01月13日 | Weblog
「ルーティン」それは、きまりごとです。あまり聞き慣れた言葉ではないかも知れませんが、スポーツの世界などでは、よく使われています。ちょっとした行動に緻密なトレーニングがあるのです



 NHKのスポーツニュースの最後に、全日本女子バレー部の木村沙織選手の特集がありました。



 先ほどの世界選手権で、久しぶりに日本がメダルを取りました。その影には、木村選手の成長があったというのです。木村選手の苦手とするところは、サーブレシーブでした。そこに相手チームがつけ込んでいきました。



 代表チームの監督の真鍋監督は、「ルーティンをつくれ。」と木村選手に伝えました。
 


「ルーティン」それは、アスリートたちが創るきまりごとや習慣です。



 イチロー選手は、バットを振ってから、バットを目の前に持ってきます。独特の動作です。ある雑誌で読んだのですが、イチローは投手と目の前のバットを交互に見ながら、投手が投げてくるボールをイメージしながら遠くのものから近くのものを見て、動体視力を高めているのです。あの動作は、ただのポーズではないのです。それはわずかな時間ですが、必然性のある行為なのです。



「ルーティン」は時々するものではなく、試合中も練習中も同じように行うものなのです。ルーティーンのポイントはゆっくりとした動作で、確実に行えるものではなくてはいけないということです。早い動作は気持ちを焦らせますし、試合中にできないことをルーティーンにするのは難しいでしょう。




 隙とか迷いを打ち消し、集中力を高める動作なのです。木村選手は、サーブレシーブが得意でないということを自覚しているので、相手がサーブする前は、必ず、レシーブを正確に受ける動作をします。監督から指示を受け、木村選手なりのものを創りました。

 今度試合があるときは、ちょっとそんなところも見て下さい。


 例えば、「この道を通ると、いいことがある。」というのは、迷信的行為・偶然的なもので、「ルーティン」とは違います。



 学習においても、例えば、試験の前には、目を閉じて、3回腹式呼吸をする・・・というのは、「ルーティン」です。心拍が安定する。筋肉の緊張が解ける。軸がまっすぐに伸びる。気持ちが落ち着く。など、かなり有効なルーティーンです。
 必ず、レベルの高い選手は、オリジナルな「ルーティン」(きまり)を持っています。「マイルーティン」を創ってみてはどうですか。



 そのことで、精神的な安定も保つことができるのです。



 生活の中でも、運転席の前に家族の写真を貼って置いて、運転をする前に、必ず見る・・・というのもありでしょう。事故の確率を減らす方法なのかも知れません。

 
 トップアスリートたちは、このようにして、技術の習得とともに、メンタルトレーニングもしているのです。スポーツ観戦でまた周りの人たちの生活からちょっとした「ルーティン」を見つけてみて下さい。何かの参考になるかもしれません。


いろんなところで学びながら

2011年01月11日 | Weblog
いろんな人の話を聞いたり、本を読むこと・・・自分の生き方と対比させて考えると学ばされることが多いです。ちょっとした心がけとか気持ちの持ち方すべてを生かすことはできませんが、参考になります


 このごろ、講演会などに行く機会が多くなっています。だいたい講演会の講師は、体験が豊富な方が多いです。すべてを生かすことはできませんが、ちょっとしたところを生活の中に生かすことはできます。



 でも講演会に行かなくても、テレビでもしっかりと貴重な話を聞くことができます。自分自身、スポーツが好きなので、スポーツニュースをチャンネルを変えてまでよく見ます。野球のシーズンになると、エスカレートします。特に、ジャイアンツやホークスが勝った試合などは、こまめにチェックをします。



 よくニュースには、ゲストがでます。サンデースポーツ(NHK)などが特に好きです。民放のスポーツニュースは、茶化したりしてじっくりとゲストの話を聞けないときがあります。




 一昨日、サンデースポーツのゲストは、レスリングの吉田沙保里選手でした。146連勝、オリンピックで2連覇しています。レスリングの試合での攻撃的なスタイルは感動をさせてくれます。この日は、「勝利の4か条」ということについて話をしていました。



①目標を持て
あこがれの選手を持とう。その選手に近づくような努力をすることによって、力をつけることができる。


②即断・即決
ふだんの生活の中で、迷わない習慣をつける。日常生活の気持ちの持ち方がマットに出る。プレイでは一瞬の迷いが致命傷になる。


③スイッチの切り替えをはっきりと
ON・OFFをはっきり。OFFのときは、レスリングのことは考えない。ON・OFFをはっきりすることによってレスリングに集中できる。やるときにはとことんやる。


④常に“悔しさ”を持つ
勝ち方にもこだわりたい。負けから、勝ち方から、課題に対して反復練習を繰り返す。
 


 放送ではこんなことを話したのですが、実際に吉田選手の言葉を聞くと、なるほど・・・と思うことが多かったです。努力を重ね力をつけた人の言葉と理論には重みがあります。



 番組の終わりには、「ルーティン」(きまりごと)の話がありました。それは、明日に。是非、読んでみて下さい。


成人式、おめでとう

2011年01月10日 | Weblog
朝、新聞を見ていると、中津市の成人式のことが書かれていました。昨日は、各地で成人式が行われたようです。それぞれに趣向を凝らした思い出に残る成人式になったようです



 昨日、中津市の成人式が行われました。直接、この学年を担当はしていませんでしたが、授業、部活、いろんな活動の中で、一緒に取り組みをしてきました。早いもので、もう成人式を迎えます。



 市の方から、何ヶ月前か、
「だれか、成人式を迎える人で、実行委員をしてくれる人はいませんか。」
とたずねてきました。



 各中学校校区から男女1名ずつ出さなければならないのです。これには、いろんな制限があるので、選出は難しいのです。



 会議が何度ももたれるので、まず、地元にいる人ということです。次に会議が夜あるので、その会議に出やすい時間帯の仕事の人か学生ということになります。



 地元に残っている人を思い出しながら、駄目もとでひろしくんとまきさんに電話をしてみました。すると、二人ともすぐに快く引き受けてくれました。
 



 昨年末に、成人式のお世話をしている市役所の方に会ったときに、「二人ともよくいろいろ働いてくれているんですよ。」という話をしてくれました。 

 
 一度、まきさんは、学校に先生たちのメッセージビデオを撮りに来てくれました。今日の新聞を見ると、ひろしくんは、実行委員長になっていました。



 ひろしくんに電話をかけました。「成人、おめでとう。」と言葉をかけました。


 「先生、実行委員になって、いろいろ勉強になりました。みんなと活動ができて楽しかったし、やってよかったなと思いました。ありがとうございました。」

 ひろしくんのあたたかな優しい言葉に感動しました。涙がでる思いでした。本人の真剣な取り組みとそういう思いをさせることができる中津市の取り組みがすばらしいんだろうなあと想像させられました。



 ビデオをまきさんが撮りに来た時、昨年の実行委員のひろみさんも一緒でした。ひろみさんもスタッフとなって活動しているのです。実行委員は成人式の年だけでなく自主的に実行委員のOBとなって成人式を支えてきているのです。昨年のかつやくんも同様です。それだけ成人式を創りあげ、成功させていくことに対してやりがいを感じているのです。




 中津市のホームページに昨日の成人式の様子が掲載されています。ぜひ、検索してみて下さい。賑わいを感じます。中津市では762名の新成人が成人式に参加をしました。

 成人式おめでとうございます。これから社会を支えていく原動力となって下さい。写真は、中津市のホームページからです。


小倉百人一首競技かるた大会

2011年01月09日 | Weblog
昨日は、滋賀県の近江神宮で名人位決定戦が行われました。その模様がテレビ中継されていました。大分県出身の西郷さんが名人位戦で13連覇。クィーン戦で楠木さんが7連覇を達成しました。クィーン戦はテレビをつけたときには、終わっていましたが、西郷さんの戦いを見ながら、こちらまでもが緊張してきました



昨日は、滋賀県の近江神宮で小倉百人一首かるた大会が行われました。名人位決定戦では、西郷さん。クィーン決定戦では、楠木さんが王者の貫禄を見せつけました。二人ともに大分県出身で、西郷さんは13連勝。楠木さんは、7連勝と快挙です。楠木さんは、中津市出身です。



 
 百人一首とは、いろんな思い出があります。クラス担任をしたときには、百人一首に取り組んでいました。9月の終わりまでには、クラス全員の子どもたちが百首を覚える・・・11月の終わりまでには、下の句から上の句が言える・・・1月中旬までには、陣地の置き方を考える・・・というように年間の計画を立てていました。





 どんな取り組みでもいいのですが、百人一首は、クラスみんなが同じ目標を持てるし、励まし合って、努力して達成感を持てるという経験を味わうことができます。


 50首覚える、百首覚える、下の句から上の句が言える、自分の札の置き方の戦略を考えることができる、試合に出ることができる、そういう意味においては、百人一首は、小さなゴールがいくつもあって、クラスがまとまっていくのに効果的だったかなあと思います。上の写真は、樋田小学校の時に、大分市の県立総合体育館での大会に行ったときのものです。



 苦労した分、1月からは、いろんなところに行くことができました。お家の方も一緒になって応援していただき、1月からいろんな大会に参加をしました。宇佐神宮全国大会、大分県かるた競技大会、門司港かるた大会、中津かるた大会などみんなで参加をしました。




 大分に行くときには、朝、クラス全員で列車に乗って行きました。一番列車に揺られていくのは、楽しい時間でした。また門司港に行ったときに、生徒が同じ大会の初心者の部に出ていたお年寄りの方と仲良くなり、生徒が自分で作り練習をしてきた百人一首をプレゼントしました。それがきっかけとなって、交流ができ、子どもたちの卒業式にも来てくれたということがありました。




 小学生の大会でも、暗記時間と試合とで一試合1時間30分近くかかります。勝つか負けるか一対一の試合です。その間声も出さずに、読み手の声と、札にずっと集中です。札のやりとり、どちらが速くとったのか相手との交渉など相手との駆け引きがあります。勝ち進めば、何時間も緊張の中に身をおきます。生徒たちにとっては、緊張感のある体験です。





 その緊張がほどけたときには、涙がこぼれ落ちるほどです。子どもたちのいろんなドラマを見てきました。今まで書いたエッセイ集の中にも掲載をしています。




 大分の大会や宇佐の大会で西郷さんと戦って、数枚しかとれずに、玉砕した生徒もいました。当時、西郷さんは、すでに近江神宮の小学生の部で全国を制し有名でした。ランニングシャツで戦う姿は、印象的でした。西郷さんと対戦が決まった生徒は、そのときは、がっくり。
 



 クラスの子どもたちは、きっと百人一首を通して、今でもいろんな思い出が残っていると思います。



 昨年末、生徒に会ったときに、
「先生、自分の子どもも今、百人一首を習っているんですよ。」
という言葉。うれしいですよね。




 昨日、テレビを見ながら、いろんな懐かしい思い出が浮かんできました。



 名人戦では、一進一退の攻防戦となりました。しかし、2勝2敗になるところで中継が終わりました。ゲストは、今何かとお騒がせの大桃さんでした。大桃さんが「なんでこんなところで中継がおわるの?」と声をあげていました。ひょっとしたら、ツイッターで文句を言っているかも・・・?!

おめでとう!Aくん

2011年01月08日 | Weblog
教員になって、クラス担任した学年は、上は中学校3年生、下は、小学校2年生です。それぞれに学年の特色があり、思い出深いものがあります。そんな中、今日の夜、小学校2年生の時に担任したAくんから電話がありました


 Aくんを小学校2年生の時に担任をしました。あれから何年たっただろう。幼くかわいかった姿からもうすっかりと社会人として頼もしく活躍をしています。

 教員をしていて、そんな様子の移り変わりを見ることができることは、感慨深いものがあります。


 Aくんはスポーツが大好きでした。お家の方もいろいろと学校のことなどに協力してくれました。Aくんの家の近くには、野いちごがたくさんあってクラスのみんなで取りに行きました。野いちごでジャムを作ったりしたこともあります。下の写真が野いちごとりのときのものです。



 そして、中学校に入学してきたときに、自分も偶然にも同じ中学校勤務となっていました。監督をしていた野球部に入部してきました。野球での関わりは、わずか一年間だけだったのですが、Aくんが社会人になってからも一緒に野球をする機会があります。そう考えると長いつきあいとなります。これも縁なんですね。


優しい彼の姿から学ばされることがたくさんあります。



 そして、今日の夜電話がありました。


 「先生、年賀状出せなくてすみません。明けましておめでとうございます。」
という電話でした。


と同時に
Aくんからうれしい知らせ。
「先生、結婚するようになりました。」
えっ。突然の報告に驚くとともに嬉しさを感じました。



 お嫁さんになる人のことや結婚にたどりつくまでのいきさつなどを教えてもらいました。


 彼の弾むような言葉から、Aくんが幸せに満ちていることが感じられました。


 新年早々、Aくんからホットな知らせをプレゼントしてもらいました。結婚式の日が楽しみです。






雪の降った中で

2011年01月07日 | Weblog
学校が始まっていないので、生活もなんだか平坦な毎日です。今日は、雪が降る朝でしたが、部活の生徒、受験勉強をする生徒が寒さにも負けずに登校してきていました



 雪がうっすらと積もった朝でした。しかし、寒さは格別なものがありました。


 今日は、冬季休業の最終日(と言っても明日から土日なのでもうちょっと休みがあります。)です。今日の雪は里雪で、山間部よりも山間部から街部にかけて雪が降っていました。山あいから来ている先生は、「今日、全然積もっていなかったよ。」とちょっと自慢げ? トンネルの向こうの雪景色を撮りました。


 朝、3年生の生徒が寒い中、学習室の鍵を取りに職員室にやってきました。


「冬休み、全部学校に来たんやね。」


と言うと、にっこり。自分が決めたことは、やり通す強さは、すごいことですよね。その生徒は、この休み、学習をするためにずっと学校に来ていました。塾に行かないといけないと意識が働くと思うのですが、学校は、自主的なものなので、休もうと思えば、いつでも休むことができます。そんな中で、続けるというのは、強い意志がないとできないと思います。



 3年生の先生も、学習室に行って指導をしています。みんなが一緒になって大きな山を乗り越えようとしています。
 


しばらくすると、何人かが職員室にやってきました。


「面接の練習をして下さい。」


と言うので、1時間くらいつきあいました。かなり練習もしているようです。



「なぜ、この学校、この学科を希望したのか。」「この学校でどんなことを学びたいのか。」という志望の動機の認識。「中学校時代、どんなことに頑張ってきたのか。」「部活を通して、どんなことを学んだのか。」というような中学校時代学んだことの認識。「今、あなたが関心を持っている社会の出来事、ニュースは何ですか。」というような社会的な知識。「あなたの趣味は何ですか。」「最近読んだ本の中で心に残っているものは何ですか。」というような個人の趣向に関する問題・・・などを出しました。
 



 まもなく3学期もスタートします。


一日早い「春の七草」

2011年01月06日 | Weblog
農産物販売所に立ち寄りました。そこには、「春の七草」のパックが売っていました。明日7日は、「七草がゆ」の日です。早速買って帰りました。買わずに探して回るほどの知識が欲しいのですが・・・



 お正月に日田に勤務したときに、いろいろお世話になった五馬の方から、新年の電話がありました。

「正月は、ゆっくりしていますか。」

と聞くと、

「いいえ、がんばってるよ。春の七草の出荷を正月三日ともするよ。」
という言葉。

 スーパーなどに売っているパックに七草を詰めるために、正月を返上しているのです。それからちょっと、「七草」のことが気になっていました。




 インターネットで「七草」のことを調べると、


「1月7日は、『七草がゆ』の日です。新年の初めに一年の無病息災を願い、また新年を無事に迎えられた事への感謝を込めて食べる習慣があります。

「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞ七草」と和歌にも登場する『春の七草』。 

おかゆにして食べる習慣は、はるか昔、平安時代の初めに中国から伝わり江戸時代に一般に広まって現在に至ったのだそうです。
最近ではスーパーなどでもパックになって売られていますが なかなか普段は耳に馴染みのない名前ばかり・・・。と思いきや、実は「すずな」はカブのことだし、「すずしろ」というのは 大根の事です。これら七草は、ハーブの仲間なのです。」




 そうかあ。ちょっと勉強になったぞ。


 七草を買って帰ったけれど、帰って思ったのは、今日は、誰もいない日なのです。ご飯は、自分でということです。明日、七草を食べようと思ったけれど、食材は、これしかない。インターネットで「七草がゆ」のところをプリントアウトして、料理をしました。うまいようなまずいような・・・一人寂しく食べました。

 

 一日早い、「七草がゆ」の日となりました。ごりやくが薄くなったかなあ。

年賀状を読みながら

2011年01月05日 | Weblog
新年になり、年賀状が教えた生徒から届いています。それぞれの生活の中で、みんな一生懸命に頑張っています。年賀状を見ながら昔の面影を感じつつ、今年もいい年になるように祈っています


いろいろ書かれた生徒たちの一人一人の年賀状を読みながら、みんなの一年がいい年であることを願っています。写真付きの写真も、教えた生徒の子どもさんの写真がたくさんあります。以前は、ちっちゃな子どもさんが写った写真が多かったけれど、今では、それぞれの子どもが大きくなっている写真があります。時の移り変わりです。


いっぱい幸せなそして楽しく過ごせる一年であってほしいと心から願っています。みなさんの活躍を心からお祈りしています。年賀状の一部からの抜粋です。


◇わたしは、今、看護学校に行っています。勉強が大変だけど頑張っています。

◇学校での実習を通して、人の本当の温かさや大切さを改めて知った一年でした。医療に関わる卵として、自分と向き合い成長できる一年にしていこうと思います。

◇今年は、もう受験生となるので、大変な一年に夏と思うけど、自分の夢を実現させるために頑張りたいと思っています。

◇今月末には、あたしもお母さんになります。女の子です。

◇先生になって、受け持っている子どもたちが今年卒業を迎えます。思い出深い年になりそうです。

◇先生として頑張っています。選手として指導者として教師としてがんばるっす。

◇親になって、今自分の親がしてくれたことがわかるような気がします。いろいろ難しいことが多く、悩んだりすることもありますが、しっかり子どもを見つめながらがんばっていきたいと思っています。

◇子どもたちが奥さんにお世話になっています。しっかりと勉強をしてほしいです。

◇大学生活にも慣れて充実した日々を送っています。今年もいろんなことにチャレンジしていきたいと思っています。

◇病院に就職が決まり、国家試験に向けて頑張っています。

◇先生は何歳になったのですか。いつまでも若々しい先生でいて下さいね。

◇社会人としてがんばっています。いろんな苦しいこともあったけれど、先生たちから厳しく教えてもらったことが今生きているような気がします。

◇就職が決まりました。車で1時間かけて通わなければならないけれど、入社を決意した今では、何とかやっていけると楽観視しています。

◇今年は、子どもが入試なので、早く終わって欲しいと願うばかりです。

◇病気で自分のやりたいことが上手くできませんが、自分のペースで少しずつ前に進んでいます。

◇お元気ですか。わたしは、今年の春からしっかりと就活を始めます。決まったらまた連絡をします。

◇私と彼はすごくラブラブなんです。

今日から仕事始め

2011年01月04日 | Weblog
年始休暇も終わり、今日からいよいよ仕事です。たんまりと書類もたまっています。一つひとつに目をやりながら、今年一年の始まりを感じました



 朝は、寒い一日でした。山の半分より上は、雪が降っています。

 どの山も半分から下は、ふつうの緑の山で、上は白色の山です。この模様は、おもしろいです。ということは、白い部分の高さから上は、雪が降っているということ。


 日田に向かう家族の話では、大石峠は、上ることができない車が道の真ん中にいたるところに止まっていて、道路封鎖状態だったとか。



 そんな中での仕事始めです。生徒たちは、寒さに負けず、今日から部活が始まったところがほとんどです。また3年生は、受験学習に来ている生徒たちもいました。


 仕事に来た先生や電話に出たりすると、「明けましておめでとうございます。」という言葉で会話が始まります。また、職員室に入ってきた生徒たちにも、こちらから「明けましておめでとうございます。」と声をかけました。



 お鏡餅が職員室にあったので、どうしたのかなと思っていると、校長先生が置いてくれていました。
「今年も学校でたくさんのいいことがありますように。」



 一方では、3年生の先生が一生懸命に入学試験の手続きに頑張っていました。生徒たちには見えないところですが、一人ひとりの生徒たちのために、黙々と作業をしたり、連絡をとったりとまもなく始まる入試に向けた取り組みに真剣になっていました。


 いろんなところに新年の雰囲気が漂っていました。今年は、始業式は、土日、成人の日が入っていて11日に行われます。いつもの年とは違ってちょっと長い冬休みとなります。寒くなって風邪をひいているという人の話も聞きます。体調を整えて、11日を迎えて欲しいと心から願っています。

あれから時がたち・・・楽しく食事を

2011年01月03日 | Weblog
昨年の末、野球部の担当だった時の生徒から電話がありました。「今から、中津に帰りますが、時間がありますか。」そんな連絡でした。そして、久しぶりに会って、楽しく時間を過ごしました



 年末のぼたん雪がどんどんと降る日、教えた生徒のただひこくんからの電話。



「先生、久しぶりです。今日中津に帰ろうと思うけれど、時間が空いていますか。」



という内容でした。



 すぐに会う約束をしました。野球やいろんな活動を通じて、充実した生活を送らせてもらいました。野球では本当に思い出が残っています。



 ただひこくんのお世話で10人を超える人たちが集まっていました。中には、その当時のお父さんも来ました。今年は、親子で飲み会をする計画になっています。


 でもそれを乗り越えての前哨戦です。一次会そして、二次会・・・へと楽しく時間を過ごしました。学生とは違って、一人の大人と大人として一緒にお酒を一緒に飲めることがうれしく思います。


 今は、生徒たちを受け持つことができないだけに、こうして会ったり、生徒から懐かしいメールや電話が来たりすることがとてもうれしく思います。昨日は、十数年ぶりに福岡にいる小学校時代に教えた生徒からメールの連絡が届きました。また今日は、徳島にいるかずみちゃんと電話で話すことができました。



 つながりが持てることがとても幸せです。



 話を元に戻します。県総体予選の決勝戦。ただひこくんたちは、4人の3年生でした。


 本当に苦しい練習を積み重ねて、人数は少ないのですが、優勝候補の筆頭にあげられていました。最終回1対0。ほぼ勝利を手中にしました。



 ワンナウト1塁。ピッチャーゴロ。ダブルプレーです。ピッチャーがセカンドに投げると、セカンドが後逸。そして、カバーに入った選手がセカンド直前までカバーに入っていたので、そのまま外野に抜けました。バッターランナーまでホームへ。劇的な幕切れ。こんなこともあるのです。でも彼らが強豪三光中学校の歴史の礎を創ってくれました。誰もがだれもを責めたりしませんでした。そんな思い出のチームです。



 そんな仲間たちと遅くまでカラオケを歌ったりしながら、楽しむことができました。それで、耶馬溪は雪がぼっこりつもっていて帰ることができず、初めて「東横イン」に泊まりました。



 これからも生徒と先生ということではなく、絆が保っていけたら・・・つながりを持つことができたらと考えます。 今年の夏、また再会できることを楽しみしています。


 ありがとう。

お年玉

2011年01月02日 | Weblog
今日は、姉たちが年始のあいさつに母のところに来てくれました。県南から来たので、雪景色には驚いていました。たくさんみんなと話す中で、母からのお年玉もありました



姉たち夫婦が、母のところに新年のあいさつに来てくれました。夕方近くだったので、母はもう眠っているのではないかなどと考えながら、母のいるホームに行きました。



思いがけなく母も体調がいいのか、目をつぶっているものの口元は緩んでいて、笑みをこぼしながら迎えてくれました。




介護をしてくれている方も大変です。正月から入所者の方のためにいろいろと気を配ってくれています。野球部を担当しているときの違うチームの選手だった生徒が介護をしてくれています。



「正月からいろいろお世話になります。」と言うと、笑顔で「そんなことないですよ。顔色もいいですよ。」と明るく答えてくれました。さわやかで優しく母たちを包んでくれているのでしょう。



夕飯の後で、眠っているように見えるのですが、ときどきいつもの母に戻ったように答えてくれました。


姉が持ってきたお菓子。
「おいしい?」
と聞くと、
「とてもおいしいよ。」


誤飲しないように姉たちとゆっくりと食べさせました。記念写真もたくさん撮りました。姉たちの名前も時々呼んでくれました。




もう自分の名前も呼んでもらえることもないだろうなあとここ半年思っていました。半ばあきらめていました。ジュースを飲ませているときに、やっぱり
「おいしい。」
と聞くと、
「かあたかさんたちが持ってきてくれたからね。」
とはっきりとした言葉が出てきました。どきっとして母の顔を見ました。



 ずっと前だとなんでもないことなのかも知れませんが、言葉が少なくなってきている今の母の心の中に、少しでも母の子としての自分の存在があるのかと思うと熱いものがこみあげてきました。何にも変えることのできない母からのプレゼントでありお年玉でした。



 姉たちもたくさん話しかけて、にこやかな母でした。自分たちが行く前に子どもたちも行ってくれていて、母もいい正月が迎えられたようです。

明けましておめでとうございます

2011年01月01日 | Weblog
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。雪が降り積もった中で2011年が始まりました。皆様方にとって、素晴らしい年であることを祈っています



 幼い頃の年末の過ごし方は、先日書きました。


 では、元旦はというと、かつては、元旦の店はたいてい閉められていました。日本では、正月の元旦は、みんなが休むという風習があったのでしょう。だから年末に食料品などを買っておかないと、正月に食べることができません。



そこにもしかして、おせち料理などが生まれたのかも知れません。正月から買い物をすると、父や母はよく「お金がたまらなくなる。」なんていうことを言っていました。しかし、それも昔の話。元旦からいろんな店が開いています。初売り。正月の大売り出しです。自分自身、その売り出しに荷担している一人なのかも知れません。




 1年の始まり。元旦の過ごし方は、いつも決まっています。それは、ひょっとして受け継がれてきたものかも知れません。



 年が明けて、近くの神社に初詣に行きます。朝起きて、家族で年始をします。初顔合わせ?!お年玉などを渡します。それも束の間。地区の初寄りがすぐにあります。今年は、当番だったので早めに行って準備をしました。地区の役員の方がいろんな新年のあいさつをします。1升のお酒を空けたら終わりです。以前は盛大だったのですが、だんだんと簡素化されています。




 年賀状の整理をして、自分の父や母が元気な時は、両親の好きなカラオケなどに付き合っていたのですが、今は、夕方から連れ合いの実家へ新年のあいさつへ。いつまでも元気で過ごしてもらいたいと願いながら、新春の食事をよばれます。連れ合いの両親も「最近は、体が弱って・・・。」と言いながら、孫たちも含めてみんなが集まってくれることがうれしいようです。




 家族でも地区でも年賀状でも、一年に一度・・・家族同士、家族と親戚、地域の人と人・・・結びつきを深めるための行事という意味合いもあるのでしょう。明日は、姉たちが新年のあいさつと母の見舞いを兼ねてやってきます。ふだんは、それぞれの仕事などに追われ、結びつきが希薄になりかけていることが多い時代だけに、さらに大切にしなければならない時間なのかも知れません。




 2011年がスタートしました。今年も「前向きなエネルギー」で歩いていけたらなあと思っています。



 「前向きなエネルギー」またこれについては、ブログの中で少しずつ書いていきたいと思います。