3月25日の午前10時30分。
2005年9月15日の鉄建公団訴訟東京地裁判決(一審判決)から3年半。
60席の傍聴券を求め、355人が並んだ東京高等裁判所第17民事部(南裁判長)でのJR採用差別事件に関する控訴審で、一審判決を基本的に支持し、そしてまた不当判決を言い渡しました。
所属組合による不当な差別(不当労働行為)があったことは認めましたが、裁判にかかる弁護士費用として50万円の上積み(550万円)、処分歴などを理由に請求を棄却した一審判決を支持、そして本州にあるJR会社への広域採用されたものの辞退した者についても請求棄却。
1987年4月1日にJR不採用となってからの22年間。この間の苦痛が報われる判決とはほど遠く、問題の本質を理解せず形式的判断として、強い憤りを感じたところです。
南裁判長は、『この判決を機に、1047名の問題が早期に解決されることを望みます』と異例のコメントを付け加えましたが、・・・『続きを読む』でどうぞ
午後1時30分から飯田橋の東京しごとセンターで行われた東京高裁判決報告集会で、これからも解決に向けた要求として『雇用・年金・解決金』の3本柱を掲げていく事を堅持。2週間以内に最高裁へ上告するかどうかについては、今後の機関会議に委ねられましたが、『このままでは終わらせない』として、新たな闘いの場への闘志を一つに団結ガンバロウを三唱。
溢れんばかりの人だかりで、会場内は熱気に包まれていました。
この中央行動は、各地区から参加した闘争団員を6班にわけ、私は5班に所属。
行動には全体行動と班行動とがあり、5班はその日の午後6時から、金町駅頭で毎月1回のチラシ配布とマイクを使った宣伝行動(支援共闘主催)に参加。その場所で私は、今回はじめての街頭演説をしてきたところです。
労働者に対して冷酷に吹き抜ける寒風が吹き荒れ、本日出された判決内容に、怒りに震え、悶々とした思いで全員が床に付いたのではないでしょうか。この日の東京の夜は、労働者にとって辛すぎる夜となりました。
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