陳述書を書き上げて国労支部にメールで送りましたが、間違った送り方をしてしまったようですみませんでした。ワードで作ったものをコピーしてメールに貼り付けたものですから、相手先から添付という仕方を教えてもらって何とかうまく送れたようです。
メールなんてものはいつ使ったか分からないぐらい遠いことであり、それで仕方を忘れてしまい、そのことだけで大変な時間をかけてしまいました。
それにしても、陳述書を書いているときに当時の国鉄荒尾駅や国鉄清算事業団のことを思い出し、特に緒方駅長をはじめとした助役たち管理職の事を思い出すと怒りがこみ上げてきます。
もう、やがて21年前の話になりますが、その時の情景をいまでも覚えています。
朝の点呼の際には、必ずといってよいほど胸に着けている国労バッジについて『服務規程に違反をしている。はずしなさい』と言い、はずさないと『現認します』と言って立ち去り、そのことが毎日のように続いていました。
また人材活用センター職員として清掃作業中に怪我をした際、駅長からは『君のおかげで無事故記録が途絶えてしまった』とののしられ、数日後に鉄道管理局の担当課から事情聴取がなされ、そのときでした。緒方駅長から『治療代は支払うから公傷にしないほうがよい。公傷にすれば君の経歴に赤い文字で公傷と書かれる。赤い文字は処分と同じだ。君の将来を思って言っている』と。
ののしられた経緯があることから、無事故記録という自分の経歴に傷がつかないようにと思っていると直感として感じ、事故は事故として認めさせることが大事だと思い公傷にしました。
その赤い文字がいくつあるのかで、JR採用の合否が判断されるならば片足切断の事故を起こしても公傷扱いにするなということでは、第二、第三の事故者、犠牲者が出てきます。そういったことは大変に許しがたい行為です。
こんなこともありました。線路横断時に指差呼称の励行が急に始まり、人材活用センターのときに『何故しなければならないのですか。線路横断時には目で見て確認している』と指で確認することの理由を聞きましたが、緒方駅長が言いました。『私の命令に従え。私が法律だ』と。結局、理由は教えてもらえず、そして私の今日の業務は指差呼称だと指示し、炎天下の中で駅長室の前の線路にたたせ、ホームからの乗客から見える場所で指差呼称をさせられました。今日一日の仕事が指差呼称でしたから頑張っていましたが、1時間ほどで打ち切りとなり、草取りの業務に就けとのことでその指差呼称の仕事からはずれました。分からないから聞いている、こんなことは現在の社会でもあります。
とにかく国鉄『分割・民営化』で、家族や同僚、友人との人間関係をズタズタにされてしまい、また私の人生を大きく変えられたことに今も怨みとしてあります。当時の管理職と会うことはありませんが、会ったときにははらわたが煮えくりかえるような怒りが込み上げてくると思います。
そんなこんなを陳述書に書き、最後に『裁判官の皆様方、どうか私の声を聞いていただき、そして誰が聞いてもおかしくない公正な司法判断をよろしくお願いします。』で締めくくりましたが、A4用紙5枚となりました。
東京地裁では、国鉄時代での不当労働行為があった事を認定しました。1987年2月16日、JRに採用されなかったのは組合差別が歴然としています。
今後の東京高裁での推移を注目してください。
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