普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

言葉もない

2011-03-12 15:52:56 | 普通な人々<的>な
 昨日の東北沖大地震は、立川の自宅で体感した。
 あの揺れは、あいまいな記憶だけれど、おそらくボクが東京に住み始めた56、7年前の昭和29年か30年に、4歳か5歳で経験した揺れ以来の大きな揺れだった。昭和29年か30年頃の地震では、当時小石川のボロアパートに住んでいて、棚からあるゆるものが落ちてきた記憶がある。今回は幸運なことに、荷物一つが倒れることも落下することもなかった。
 それにしても丸一日経って伝わってくる被害の大きさには、言葉もない。被災された皆さんには心からお悔やみを申し上げる以外にない。
 原発という、もしものことが起こればただただ人災としか言えない危険も抱き込みながら、地震とそれに付随する津波という天災の恐怖に打ちのめされる思いだ。
 実際に被災されている皆さんは、危険だの恐怖だのといちいち実感している余裕のあるはずもないとは思うが、ただただ生命だけは守りきって欲しいと思う。
 すでにボランティアで現地に入る準備をしている方達もいるとは思うが、やはり生命だけは大切にと願わずにいられない。
 かつて阪神淡路大震災の時、地震があって一週間もせずに現地に入った。倒壊した家屋や波打つ道路が続く見た目の混乱の中で、妙に町が静かだったのを思い出した。地震直後の興奮状態が沈静化して、誰もが下を向いて唇を噛みながらも、それでも前に前にと歩を進めていた。
 おそらく東京にも巨大地震が襲ってくるだろう。それも近いうちのような気がする。三陸から福島沖、茨城沖、長野、新潟と東京を中心とした地域を、取り巻くように震源を移して地震が起きている。おそらく一年以内に東京を大地震が襲うだろう。これは、単なる個人の予測に過ぎないが、ボク自身は確信を持っている。
 だからなにをするというのではない。地震が起きてもその真っ只中にいるだろう。日本という国の、これはある種の宿命であり、業だろうと思うのだ。
 日蓮大聖人は、三災七難ということを言われたが、その論理はわかりやすいもの。気になればモノの本を読んでみるといい。
 地震、かみなり、火事、オヤジというが、地震とかみなりとの隔たりは大きすぎる。心して暮らす、このことに徹していこうと思う。

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