事後報告です。
永らく「東京『昭和な』百物語」というタイトルで書き続けてきたカテゴリーの原稿を、第57回をもって「東京『昔むかしの』百物語」と改めることにしました。
この5月に「平成」は「令和」へと移り、気づけばボクは、「昭和」」、「平成」、「令和」と三代の御世を生きてきていることになりました。
改めて考えてみるに、ボクがまだ青年だった頃、「明治」生まれの父と「大正」生まれの母の、その「明治」と「大正」という年号は、いかにも過去で、古臭いもののように映っていました。
してみると、今の年若い人たちにとって「昭和」は、ボクの中での「明治」に他ならないのだなと思ったわけです。
「昭和」は行き行きて帰らぬもの、です。
ひょっとすると「令和」に生きる若者にとって「昭和」は、ボクにとっての「江戸」くらい過去に映っているのかもしれません。
どうせ昔なら、わざわざ「昭和」と銘打つこともないと判断したわけです。
これまで書いた「東京『昭和な』百物語」のタイトルを変更することはしませんが、前回から「東京「昔むかしの」百物語」としてこれからも続けていきます。
よろしくお願いの程、御願い奉ります!!!!!! チョン。
永らく「東京『昭和な』百物語」というタイトルで書き続けてきたカテゴリーの原稿を、第57回をもって「東京『昔むかしの』百物語」と改めることにしました。
この5月に「平成」は「令和」へと移り、気づけばボクは、「昭和」」、「平成」、「令和」と三代の御世を生きてきていることになりました。
改めて考えてみるに、ボクがまだ青年だった頃、「明治」生まれの父と「大正」生まれの母の、その「明治」と「大正」という年号は、いかにも過去で、古臭いもののように映っていました。
してみると、今の年若い人たちにとって「昭和」は、ボクの中での「明治」に他ならないのだなと思ったわけです。
「昭和」は行き行きて帰らぬもの、です。
ひょっとすると「令和」に生きる若者にとって「昭和」は、ボクにとっての「江戸」くらい過去に映っているのかもしれません。
どうせ昔なら、わざわざ「昭和」と銘打つこともないと判断したわけです。
これまで書いた「東京『昭和な』百物語」のタイトルを変更することはしませんが、前回から「東京「昔むかしの」百物語」としてこれからも続けていきます。
よろしくお願いの程、御願い奉ります!!!!!! チョン。
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