なんだか言葉の使い方が違うような気もするが、まぁいいか。
本当に久しぶりに、家のPC前に座りました。仕事ではPCを使い倒していますが、家のPCは、ブログを書いたり、その他の自分の原稿を書いたりするときくらいしか使いません。
だから、時々その存在自体を忘れてしまうこともあります。そうなると、原稿どころではないわけです。
それにしても。最近は紙の新聞よりネットのニュースを読む頻度の方が高いわけですが、あまりにもひどい原稿に出会います。日本語の体を成していません。殊にひどいのは、助詞の使い方でしょうか。
いま、これまでの日本語に拘泥せず記事を書いている記者・ライターの公の記事で使われている日本語が、そのうち日本語のスタンダードになるのかと思うと、空恐ろしい気がします。
ボクも決して人に褒められるような日本語で書いているわけではないけれど、少なくとも、人が誤解せず、素直に読める原稿を書こうと努力しています。その努力は、誰が知る必要もないものですが……。
でも、今の自分流の日本語を多用する公の原稿には、一言くらいは言いたい気になるわけです。
「ざけんなよ」
みたいな一言を。
本当に久しぶりに、家のPC前に座りました。仕事ではPCを使い倒していますが、家のPCは、ブログを書いたり、その他の自分の原稿を書いたりするときくらいしか使いません。
だから、時々その存在自体を忘れてしまうこともあります。そうなると、原稿どころではないわけです。
それにしても。最近は紙の新聞よりネットのニュースを読む頻度の方が高いわけですが、あまりにもひどい原稿に出会います。日本語の体を成していません。殊にひどいのは、助詞の使い方でしょうか。
いま、これまでの日本語に拘泥せず記事を書いている記者・ライターの公の記事で使われている日本語が、そのうち日本語のスタンダードになるのかと思うと、空恐ろしい気がします。
ボクも決して人に褒められるような日本語で書いているわけではないけれど、少なくとも、人が誤解せず、素直に読める原稿を書こうと努力しています。その努力は、誰が知る必要もないものですが……。
でも、今の自分流の日本語を多用する公の原稿には、一言くらいは言いたい気になるわけです。
「ざけんなよ」
みたいな一言を。
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