前々回、「自由主義の本当の意味」という記事を書いたが、今日はその続き。
続きといっても、そう大したものではなく、繰り返し、自由主義の意味する「自由」は、一握りの支配者の「自由」なのだという事を、重ねて、言っておきたいのだ。
自由に人々を支配する自由、自由に貨幣を作り出す自由、自由に世界の行く末を決める自由……これを自由と呼ぶのだ。
ボクラが、晩飯になにを食うかを考えることなど、自由でもなんでもない。
支配者は、支配を徹底するのに邪魔でなければ、どうでも良いのだが、邪魔になれば徹底的に排除する。
そういう支配者が、厳然とこの世界には存在していると、ボクには思えてならないのだ。
現に、そうした支配と戦っている人々も少なからずいる。
それを、妄想の範囲を出ないと無視する人もいる。馬鹿にする人もいる。だが、ボクには無視も馬鹿にもできない。なぜなら、どう考えても姿の見えない支配者は、存在している。巧妙に姿を隠しているが、明らかにどこかにいる。
実は、ギリシャの経済危機の時にそう思った。なぜなら、ギリシャは経済のみならず、金を借りることでアイデンティティの放棄まで迫られている。国家がアイデンティティの放棄を迫られるというのはどういうことか、それはそうさせることで簡単に支配できるようになると判断している何者かがいるからに他ならない。ユーロがそうしているのではないことは、誰の目にも明らかだろう。ユーロは表立って何者かの意向を伝えているに過ぎない。
これから先も、この「自由」という命題には言及せざるを得ないかな……。
続きといっても、そう大したものではなく、繰り返し、自由主義の意味する「自由」は、一握りの支配者の「自由」なのだという事を、重ねて、言っておきたいのだ。
自由に人々を支配する自由、自由に貨幣を作り出す自由、自由に世界の行く末を決める自由……これを自由と呼ぶのだ。
ボクラが、晩飯になにを食うかを考えることなど、自由でもなんでもない。
支配者は、支配を徹底するのに邪魔でなければ、どうでも良いのだが、邪魔になれば徹底的に排除する。
そういう支配者が、厳然とこの世界には存在していると、ボクには思えてならないのだ。
現に、そうした支配と戦っている人々も少なからずいる。
それを、妄想の範囲を出ないと無視する人もいる。馬鹿にする人もいる。だが、ボクには無視も馬鹿にもできない。なぜなら、どう考えても姿の見えない支配者は、存在している。巧妙に姿を隠しているが、明らかにどこかにいる。
実は、ギリシャの経済危機の時にそう思った。なぜなら、ギリシャは経済のみならず、金を借りることでアイデンティティの放棄まで迫られている。国家がアイデンティティの放棄を迫られるというのはどういうことか、それはそうさせることで簡単に支配できるようになると判断している何者かがいるからに他ならない。ユーロがそうしているのではないことは、誰の目にも明らかだろう。ユーロは表立って何者かの意向を伝えているに過ぎない。
これから先も、この「自由」という命題には言及せざるを得ないかな……。
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