普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

記憶は彼方へ。思いは鮮烈に。

2016-03-11 19:50:13 | 思いもよらない未来<的>な
1月17日も、3月11日も、忘れられません。

阪神淡路大震災。以前も書きましたが、おそらくボクは近畿圏以外で最も早く地震を知った人間の一人です。後に全壊指定地域となった神戸市灘区天城通に居住していた義母が、短縮ダイヤルを三木に居住していた義姉の電話と押し間違え、地震から1分も経たずに東京のわが家へ電話してきたからです。5時47分頃、寝ぼけ眼で義母の電話を受けたボクは、それほどの大事とは思わず、一言二言義母が叫ぶように話した声を聞き終えて「分かりました、後で電話かけさせます」などと、そっけなく電話を切ったかもしれなかったのです。寝ぼけていたせいか記憶はあいまいです。

東日本大震災。家で仕事していたボクの他に、娘も息子もなぜか家にいました。強い揺れに襲われましたが、揺れの方向が良かったせいか何一つ落ちることもなく、ただ地震の大きさに驚いていたのを思い出します。テレビを見れば、それから丸一日以上に渡り、恐ろしい惨状を映像として流し続けていましたっけ。その間に、仕事で日野市の豊田近辺にいた奥さんを車で迎えに行きました。後にとんでもない渋滞だったと知るのですが、ボクは裏道から裏道を華麗に走り抜け、立川駅によりながらも、いつもより(普段は往復40分程度)1時間多くかかった程度で無事帰りつきました。

阪神淡路大震災後、ボクは神戸に何度か入りました。取材でも個人的にもです。地震直後の惨状はいまだに脳裏から離れません。1階部分だけぺしゃんこになったマンションの1階で潰れている何台もの車、道を覆うように倒れ掛かっている家屋、波をうつアスファルトの道路、倒壊した阪神高速道路の傍まで行きました。カタストロフの巨大さはこの世のモノとも思えませんでした。
奥さんの実家まで、どこからでしたか(西宮北口からだったかな)歩いていきました。あまり覚えていません。あの風景は忘れられないのですが、具体的な風景は忘れています。記憶にあるのは風景から受け取った驚愕と恐怖の感情と、それを呼びさます幾たりかの印象としての風景です。

東日本大震災。毎日のように津波の映像を見続けていました。当たり前ですが、驚愕はありましたが恐怖はありませんでした。そして一度も被災地に足を踏み入れたことはありません。誘われましたが断りました。なにかとても怖いのです。東日本大震災の惨状を見るのが怖いのではなく、阪神淡路大震災の惨状を思い出すのが怖いのです。

最近、台湾、インドネシア、ニュージーランドと地震が起こったのを記憶していますか?
ボクは予言者ではありませんが、なにかざわざわとします。実は、日本のいずれの大震災の前後にも、同じ地域で地震があったのを覚えていませんか?
この地域以外に、カムチャッカ、アラスカ、そしてアメリカの西海岸で、同じ時期に大きな地震がありました。それがまだ起きていないと思っていたので、少し安心していたのですが、実はこれらの地域で、今年の初めに8000回を超える微細な地震が起きていたことを知り、足が震えました。

ひょっとすると、近いかな。日本を襲う大きな地震が近いかなと思う、今日この頃なんです。どこかは分かりません。でも年内に起きそうな気がします。
生き延びる準備だけは整えておいてください。お互い様に。


 

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