普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

結婚記念日前後

2018-10-15 00:58:03 | 夫婦連載
1981年10月12日、奥さんと二人で杉並区役所に婚姻届けを提出した。

あれから37年が経ったが、ボクと奥さんは別れずにいる。

実は結婚当初から、周囲の人間が「ボクら夫婦が何時別れるか?」を賭けの対象にしようかというくらいに、ほぼすべての人が別れることを前提にボクらを見ていた。

それはほぼほぼボクの責任に帰すところなのだが、詳しくは書かない。

それが息子を授かり、娘を授かりして、ボクら夫婦は別れることなど考えもせずに生活してきた。

ボクの人生には、子供たちは勿論のことだが、奥さんが不可欠だ。

ボクは決して良い亭主ではない。だが、それに比して奥さんは非常に良い奥さんなのだ。

依存しているわけではないのだが、お互いになぜ一緒に居続けるのか分かっている。

それはそれで、ボクと奥さんにしかわからない阿吽の呼吸のようなものがある。

傍から見ると、37年間毎日喧嘩をしているようにしか見えない夫婦だった。

子供たちの目にも、そう映っていたらしい。

だが、ボクたち夫婦には、喧嘩をしているという自覚はない。

ボクは奥さんを尊敬し、愛してもいる。だが奥さんがボクをどう思い理解しているかは、ボクには分からない。そうあってほしいという願望はある。だがそれは、それほど問題ではない。一緒にいてくれる思いがあれば、ボクは幸せだから。



今年の結婚記念日は、少し前の7日に高尾山に登った。山腹にある「ビアマウント」というビアホールで飲もうということになったのだ。

反対する理由などない。

人だらけの高尾山の山腹で、痛飲した。

実際の記念日を過ぎた13日には、今度はまた人だらけの多摩川の花火大会に出掛けた。

これも今年の結婚記念の、セレモニーの一つだった。

その足で新宿に出た。どこかで飲もうと歩きまわったのだが、歌舞伎町を一周する羽目になった。

結局、新宿では飲まずに家に帰った。

なにかが違う感じがしたのだ。

歌舞伎町周辺には、若い頃の思い出が散らばっている。だがもう探しても何も見つけられなかった。

時とは、そんなものなのだ。少しへこんだのかな……。

だが、ボクら夫婦は、そんなものではあるけれど、時と折り合いを付けながら、今も一緒に暮らしているというわけだ。

2018年10月12日、結婚記念日の前後の話。





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