普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

AKB48は、ローカリズム究極の成功事例1?

2013-01-27 23:26:41 | 音楽にまつわる話<的>な
 東京がすべて。そんな印象がことの外強かったのが音楽関係の仕事。
 およそメジャーレコード会社の99%は東京にあるし、大手のマネージメントオフィスも、いまでもほとんどは東京にある。
 音楽出版社は放送局などが参画している場合もあり地方にもやや存在したが、やはりほぼすべてが東京を中心に動いていた。それらの統括組織(例えばJASRAC)も東京にある。そしてなにより、情報を委ねるメディアや宣伝のための代理店機能も、すべてが東京にあった。結局、地方からはなかなか情報を発信できないし、よしんば情報を発信できたとしても、これまでは末端の情報として大量の情報に埋没してしまうのがオチだった。
 それがこの10年ほどで劇的に変わった。
 まず、レコード会社だが、インディーズ系の会社が今では地方にも多数存在する。そして関連としてマネージメントを担当するセクションも、地方に存在するようになった。著作権管理の音楽出版社はレコード会社と表裏一体であることが多く、やはり地方へと分散し始めている。こうした傾向にシフトした最大の理由は、情報伝達の方法論の変化と、販売チャンネルの変化だ。
 まず情報の伝達手段、経路が変わった。ご存知の通りテレビやラジオ、活字といった情報媒体に代わってインターネットが情報伝達・開示のメインストリームになった。そして音源の売買も、CDなどのストックメディアから、インターネットで売買できるMP3などの音源データでの売買が主流になった。
 まだMP3などではなくCD販売だったが、2001年9月には沖縄のモンゴル800というロックグループがインディーズのチャンネルで発売したアルバム『MESSAGE』が、累計300万枚を越える売り上げを記録した。その3年後の2004年にも、やはり沖縄のロックグループ、オレンジレンジが再び250万枚をインディーズで売り上げた。このことで、音楽販売がメジャー中心でなくとも、売れることが明らかになった。音楽販売のチャンネル、構造が確実に変化したことをしらされたのだ。
 インターネット上には、世界中のどこからでも情報を開示することが可能になり、情報を優劣なく自分の意志のままにまったく他と同等に開示することができるようになった。簡単に言えば、インターネット上には、テレビやラジオ、活字に存在した情報を取捨選択する、例えば編集者・ディレクターのような存在がいない。情報は、発信者から直接かつ平等に受信者に届く。仲介者がいなくなったのだ。言って見れば産地直送のようなものだ。そこには情報の発信地が東京なのか北海道なのか、ロスなのかロンドンなのかといった地政学的な意味は何もなくなった。東京発でなくとも良い。情報の中身が問題とされることになったのだ。
 ただし、そんな中で、情報の特化、特徴づけも当然のように起きてくる。従来のような地政学的な意味はなくなったが、「ローカル」という色付けは、インターネットで意味を持つ。
 これは、ある意味「検索」のタイミングで、最も重要なファクターの一つなのだ。漫然と何十億という情報の海の中に自分の情報を投げ込んでも、浮かび上がってくることはまずない。その情報を浮かび上がらせることのできるファクターの一つが、「ローカル」という選択肢だ。まさに産地直送品のもつ付加価値のようなものだ。
 この十年で、最も価値的なローカル商品となったのは、AKB48だろう。彼女たちのグループ名・AKBが「秋葉原」であることは誰でも知っている。「東京」ではなく「秋葉原」だ。
 秋葉原は「電気街」のイメージから、なぜか「メイド」に代表されるような「アニメ」文化の発信地として世界に認知されるようになった。そこにまったく新しい「アイドル」という秋葉原のイメージ付けをしたのが、AKB48の総合プロデューサー・秋元康だ。
 当初のAKB48は、秋葉原の「ドンキホーテ」ビル6階に、専用劇場を持つ「会いに行けるアイドル」という位置づけで出発した。
 音楽商品も、あらゆるものがデジタル化し、アイドルもヴァーチャル化していく中で、最もアナログな「現場まで足を運ばなければ会えない」アイドルとしてAKB48は出発した。これこそがプロデューサー・秋元の狙いだったのではないだろうか。
 2005年12月8日に劇場の柿落とし公演を行なうが、観客席のおよそ80名の客のうち、有料入場者数はたった7人だったというのは有名な話。だが、AKB48は「会いに行けばいつでも会える」という強みを維持しながら「大人数で没個性ではあるが、まるで点描法のジョルジュ・スーラの絵のように、受け皿としてのAKB48という『像』を皆で描いていく。一人一人は単なる点だが、距離を置いて俯瞰してみると、AKB48という像が浮かび上がる……AKB48は集団として際限なく拡散し「没個性」を目指す」(J-CAST NEWSより)ような展開の中で、トップアイドルに上り詰めた。そこに「秋葉原」というローカルなくくりが大きく寄与したことは確かだ。
 AKB48は、音楽業界でのローカリズムの、究極の成功事例といえるのではないだろうか。
(ある出版物のパイロット版に2012年6月頃に書いた原稿)
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 三が日も過ぎた頃に… | トップ | 宮沢賢治……東北人のアイデン... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大きなイナカ (ゲスマリオでゲス)
2013-01-28 23:31:57
う~ん、秋葉原って言っても、東京の腹ん中ですからね~。
ただ、東京って言っても、実体は「大きなイナカ」なので、まあ、とるに足りないものじゃないかと思うわけです。。
それと、もうみんなWebには飽きてきたんじゃないんですか(早っ!)?
返信する

コメントを投稿