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東京「昭和な」百物語<その20> グリーンハウス

2017-01-14 02:24:11 | 東京「昔むかしの」百物語
1960年代の終わりに近づくと、世の中は騒然とする。

ある意味、1960年6月15日の東大生樺美智子さんの国会南門での機動隊との衝突による死亡で始まった反安保闘争という「政治の季節」が、ピークに達するのだ。

60年安保闘争から70年安保闘争へ、学生が主体となった政治闘争は刻々と姿かたちを変えながらも連綿と受け継がれ、その間のベトナム反戦、沖縄闘争などのファクターを抱え込みながら、一種のカタストロフとでもいえるような悲劇的な高揚を見せる。まるで負けを覚悟の捨て身の新宿、安田へとなだれ込むのだ。その先に浅間があり三菱もあった。

その一方で、束の間のアバンチュールのように、ヒッピーというそれまで自分たちが知っている世界とは違う世界がアメリカやヨーロッパにはあるみたいだぞ、的な期待や高揚と、ナチュラリズムに名を借りた怠惰で、退廃的な現実があった。

その象徴が、今では信じられないことだが、長髪の兄ちゃんやとっぽい姉ちゃんが、ハイミナールやシンナーでおっぺけぺになりながら、新宿アルタ前に存在した芝生の一角で一日中寝転がっているという事実があった。その一角をグリーンハウスと称した。全然温室じゃないけどね。

しかも彼らは、ヒッピーではなくフウテンと呼ばれた。あ、彼らじゃないか、ある意味ボクもだった……。ボクはおっぺけぺじゃなかったけどね。

その一角に入りきれない連中は、新宿中央通りの「風月堂」「ウィーン」という喫茶店に入り浸った。コーヒー一杯でおよそ半日以上をそこで過ごした。政治的ではない時は、ボクはこのウィーン一派として過ごした。

なんて、その第一人者のように書いているけれど、そうではなくて、十把ひとからげの一人。芝居もやっていて忙しかったし、あまりそこにはいられなかった。ただし、いられるときはそこの住人のようにふるまっていたな。

でもね、ことさらに言うわけじゃないけれど、それはそれで楽しかった。政治も含めて新しいカルチャーとして理解していた。

昭和という時代は、前半は戦争だらけだった。そして中盤は政治的だった。最後の最後は……なんともいわく言い難い不思議な終わり方をした。混乱を避けながら混乱を招き、消耗し、果てたという感じ。

それでも、なにか元気だった。今よりははるかに元気だった。
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