普通な生活 普通な人々

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音楽遍歴<その1>

2010-10-26 16:06:04 | 音楽にまつわる話<的>な
 60年以上生きてきて、その大半、およそ50年以上は音楽を聴いてきた。
 はじめは小学生の頃、ほとんどラジオで聴いていた。プレイヤーなどない時代で、音源はすべてラジオだった。当時は、敗戦後まだ十数年しか経っていない、それこそ米穀通帳があった時代。世の中は総じて貧しかった。
 それでも音楽の好きなボクは、ラジオを、主にFEN(810k)に合わせて聴いていた。ヨーロピアンポップスも人気だった。シャンソンやカンツォーネも流れ、もちろんプレスリー、チャック・ベリーなどのロックスターは、まさにスターにふさわしいかかり具合だった。シナトラやサミー・デイビス・Jr、コニー・フランシスなんてのも日常茶飯事にかかりまくっていた。
 その間に、日本のラジオ局に合わせれば青春歌謡、演歌、浪曲に俗曲となんでもかかっていた時代。それもすべて面白かった。
 音楽を聴くことの転機は、1958年に訪れた。1曲のカントリーというかフォークソングとの出合いだった。ボクは小学校4年生だったか…。ラジオでかかりまくったその曲は、キングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」だった。意味もわからず、それでもほとんど空で覚えた。本格的に洋楽というか、日本語以外の曲に興味を持った時だった。掲載のジャケ写が、キャピトルからのデビューアルバム。「トム・ドゥーリー」はシングルも出されたが、このアルバムにも収録されている。
 そして、中学に入るとキングストン・トリオのコピーバンドを結成する。好きな奴が何人かいたのだ。当時、フォークブームが始まった頃で、コンサートなどにも出演したが、ボクらは唯一の中学生バンドだった。もちろんこの頃ビートルズの洗礼は受けている。高校の頃はフーテナニーだのジャンボリーだの、大学生のバンドに混じってそれなりに出演した。
 それから大学進学するのだが、同時に役者を志望し劇団に入り、早稲田のⅡ文に合格したのは良いが、折からの学園紛争で、革マルにロックアウトされた学校には通えず、3年で中退だ。ボクはボクで役者仲間と「反戦青年委員会」(どちらかというと中核系)を組織しと、自分で演る音楽とは一線を画す。
 反戦フォークなども良く聴いた。岡林も、友部も、高田も、加川も、遠藤も好きだった。南正人なんてのにも惹かれた。「ジャン」!! 別に反戦でもないのだが…。
 一方で、頭脳警察や、村八分なんてメジャーではないが突出したロックにも惹かれた。
 そんなこんながあって、当時「加藤久明」で活動していたボクは、「ロッキンF」という雑誌を作ることになる。
第1話終了<続く>

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