普通な生活 普通な人々

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マスコミの、尋常ではない報道

2014-06-11 23:27:28 | まあまあ社会<的>な
最近とみに思う。

日本の(世界共通なのかもしれないが…)マスコミは、大量伝達手段と言う意味の「マス」と言う言葉はついているが、コミュニケーション機能は全くない。

むしろ悪いことに、情報垂れ流し、あるいは情報操作機能しか持たない。

マスコミの報道は、社会規範(法的な)に則った規制を遵守はするが、それは自己保身のための、後ろ指刺されないための防衛手段。本当の意味合いの社会の自浄機能とでも言える正論などは、どこにもない。

スポンサーである企業論理は擁護するが、個の権利への配慮などほぼない。

要するに金の関わることには気を向けるが、金と縁のないことには目もくれないということだ。

半世紀も前には、マスコミの役割は「社会の木鐸」であった。そこには少しでも人々が幸せに生きるためのガイドラインとしての役割さえあった。

だが今では、そんなことはマスコミの何処を探しても痕跡もない。手前勝手な論理の押し付け(=偏向報道)はあるが、我々の生活の糧に微塵もなりはしない。

情報の垂れ流しはTVなどで顕著だが、横並びの上意下達としか思えない報道がそれだ。そこから逸脱すればどこかでしっぺ返しを食らうことが分かっているから、どこも同じ報道内容、同じ報道姿勢を守る。

情報操作はニュースのショー化に伴う、パーソナリティー、コメンテイターの発言に無作為に組み込まれている。「~と思うのですが…」などと言う言い回しは、報道する側が使うべき言葉ではない。

いまでは、そんな言葉を取り上げてみるのも虚しいほどに、意味も分からず言葉を垂れ流しているニュースキャスターなどもいる。読み上げるニュースは、一つも伝わらない。

よく考えれば、スポンサーがいなければTV局も立ち行かない。スポンサーの意向が運営のすべて。それを言葉を変えて言い訳にしている。「視聴率が大事」。

違う違う! 「金が大事」と素直に言えばいいのに。そうすれば、TVを見るのもバカバカしくなるというものだ。これは活字メディアも同じこと。偉そうな朝日も同じこと。

そして最近の報道内容。庶民の生活にとって肝心な地域の首長選挙結果などは霧の彼方で、A●Bの総選挙は詳細に報道する。味噌糞一緒にして、糞を大事に報道する(A●Bが糞と言う意味ではないよ。マスコミが糞味噌を仕分けているんだよ)。

やんぬるかな……。

次はもっと恐ろし気な、マスコミの正体を検証しようかな。




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