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東京「昔むかしの」百物語(昭和編)<その66>金縛り

2021-03-01 17:21:33 | 東京「昔むかしの」百物語
原稿の前に。
先週、FBのメッセンジャーが乗っ取りに会い、多くの皆さんにご迷惑をかけました。改めて陳謝します。
ボクからのメッセンジャーメールのyoutube画像は、決して開けないでください。よろしくお願いします。

一応収束はしていますのでご安心を。

さて、ボクは以前にも書いた記憶がありますが、17歳から34歳になるまでの17年間、ほぼ毎日金縛りにあっていました。

それは昭和の時代に生きた40歳までの半生の、ほぼ半分にあたります。毎日寝付く前の通過儀礼のように、金縛られていました。それは恐怖がボクを包み込むという瞬間で、ぞわっと背筋に悪寒が走った時から、振り絞るように声を発するまでの数分間続きました。

歩いていて金縛りのような状態になったこともあります。店先で動けなくなったこともありました。

と同時に、ここでは詳しく書きませんが、様々な霊体験もしました。霊夢も見ました。

ものの本によれば、子どもの頃からの金縛りは社会人になれば収まるそうですが、結構な歳行きまで続いたものです。

それが、ある瞬間にパタッとなくなりました。憑物が落ちたようにと、よく言いますが、まさにそんな感じです。

いま思うのですが、昭和という時代には、どこか思想・哲学・宗教という所謂内省的な生命の方向性があったようです。言い換えれば生命の負の傾向性とでも言いましょうか。

それは、多くの青年の生命の脚を引っ張り続けていたようにも感じられます。

演歌も暗く淀んだ生命を歌っていました。死と言う言葉が普通に歌われていました。

ベストセラーではないけれど、多くの青少年に影響したのは、深く内省した挙げ句、死を選んだ青年の著作だったりしました。右翼でも左翼でも、戦争と言う巨大な生命の坩堝から抜けだせずにいた青年も多かったように思います。戦争は色濃く時代の通奏低音を奏でていました。

そんな背景があって、ボクは金縛られていたのではないかと、最近になって思うわけです。

なぜなら、金縛られなくなったのは、ボクが結婚し子どもが誕生した、まさにその時だったからです。

それは、後ろ向きではいられない時間軸の中にボクが身を置いた瞬間でもあったのです。

気が付けば、平成になり、沈思黙考するような局面などなくなりました。明るく前を向いて、楽しく生きることがどれだけ大切か、あの人もこの人も口にするようになりました。良いことです。

歌は、どれもこれも人生の応援歌のようで、カラオケではひたすら盛り上がることが良しとされました。おじさんが昔の曲など歌えば、その場の空気はカッキーンと氷付きそうでした。

どっちがいいという問題ではなく、時代が生み出すアトモスフェアは、確かにあるということでしょうか。

今でも鮮明に覚えていますが、ボクが最後に金縛りにあった時に見た幻は、なぜか狸になった母が、ボクに汚物を投げつけるという幻影でした。

それをどう紐解けばいいのか、ずっと考えていましたが、はっと気づきました。

もう10年以上も前に亡くなった母ですが、当時、ボクは宗旨替えをしたのです。

17歳の時に母がさる宗教団体に入信し、ボクも連れられて出入りしていましたが、特段熱心に勤めたわけでもなく、ある種の親孝行でした。

しかし結婚を機にすっぱりと止め、法華経を自分の芯に据えました。

よく考えると、ちょうど母が信心したある宗教団体に、出入りしていた間だけ、ボクは金縛られていたことになります。

どんなことにも何かしらの因と果がまとわりつきます。それがうっすらわかりました。

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