普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

東京「昭和な」百物語<その39>吉祥寺

2018-05-15 23:30:07 | 東京「昔むかしの」百物語
1961年、小学6年生の頃。荻窪に住んでいたボクは、なぜか友達と二人、高井戸まで家庭教師の下に通った。進学塾のようなものはまだなかった。小学校の教諭がアルバイトで家庭教師をしていた。

二人で荻窪から高井戸まで歩いて通った。

家庭教師の下に通ったからと言って、特段に中学受験をするわけでもなかった。二人とも区立中学に進学した。

通った先は、井の頭線の高井戸駅に近く、時々はそのまま井の頭線に乗り吉祥寺まで遊びに行った。水道道路と言われた吉祥寺まで続く幹線道路を歩いても行った。

なんとはなしに憧れのようなものがあった。

当時の吉祥寺は、北口にはサンロードが既にあり、まるで戦後の闇市のようなハモニカ横丁があった。上野のアメ横を、もう少しディープにしたような場所だった。確か伊勢丹もあったような気がする。

南口には前進座があり、井の頭公園(当時はなにやら酔っ払いだらけで胡散臭く感じていたが立ち飲みの伊勢屋もすでにあった)、井の頭動物園もあった。

どこに行くということもなく、井の頭公園を一周したり、西荻経由で歩いて帰ったりもした。

なにか散漫としているのだが、刺激的な印象があった。

新宿や澁谷、池袋などといった繁華街ではないのだが、なにか荻窪などとは違った大きな町然としていた記憶がある。デパートがあったせいかもしれない。

後に東京には珍しい近鉄百貨店ができた。プロ野球の近鉄バッファローズ・ファンだったボクは、それだけでも嬉しく、吉祥寺にはその後もよく遊びに行った。

デパートは近鉄、伊勢丹、丸井、東急と繁華街にはないラインナップだった。

吉祥寺好きは今でも続いている。

ただし大抵の場合、子どもの頃には胡散臭く感じていた、酔っ払いと化しているのだが。
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