普通な生活 普通な人々

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あかるい(?)未来 《005》 強きモノ

2013-12-13 00:54:41 | 思いもよらない未来<的>な
ボクは、小泉元首相をまったく評価していない。

最近は反原発を標榜し、なにか国民の側に立った善き理解者然とした振る舞いで、また政治家としての人気が復活してきているようでもある。

まるで、気候変動、二酸化炭素の温室効果による温暖化で世界を脅迫したアメリカのゴア元副大統領の日本版といった体だ。

何故ボクが小泉元首相を評価しないかと言えば、あの世紀の悪法「介護保険法」を国民に押し付けた政治家であり、「自己責任」という言葉をまるで「国民の義務の遂行」とでも読み替えたような政治家だったからだ。

独断と正義面した偏見をまとった政治家だと思っている。

まあ、ボクにどう思われてもどうということもないとは思うのだが、国民の中に一人や二人はこんな者もいるということは、政治家であれば覚えておいて欲しいものだ。

何故となれば、こうした因子がどこでどう変質するやもしれないからだ。明日ボクが大きな発言力を持たないとは誰も言えない。

小泉元首相ばかりではないが、政治家の大半が持つ妙な強気の自信は、いったいどこから来るのだろうか? ざっと眺めても、論理的あるいは哲学的根拠のある何事かをバックグラウンドに持った者はほとんどいない。

だが、最近の政治家は小振りになった、減ったとは言え、やはり大半が「良き」家柄にもまして、土地や資産というバックグラウンドを持った者だ。その代表格はかつての細川護煕であり、鳩山由紀夫だ。

そこでハタと思い当たるのだ。この世を動かすためには、資産がいるのだということを。

小泉元首相も、政治家一族から生まれた、ある意味土地や資産をバックグラウンドに誕生した政治家だ。昔なら俗に「地盤、看板、鞄」と三拍子そろった政治家。

そうしたものを持たずに、政治家になった者は、必ずと言って良いほど見事に足をすくわれる。最近では山本太郎クンが良い例だが、かつての田中角栄が良い例だ。成り上がりであることで、登り詰めさせておいて梯子を外された。

そういう出自の者は、政治家になったとしても、多くはさしたる働きもできずに消えていく。

活躍できるのは、資産を持った者。

そしてこの前提は、意外にどんなカテゴリーにも当てはまる。次は、そんな話を書こう。


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