普通な生活 普通な人々

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酷く面白くない、テレビ

2011-11-27 11:45:10 | 普通な人々<的>な
 先に一言断っておけば、ボクは人後におちないテレビ小僧だった。大好きだ。で。

 馬鹿馬鹿しいほどチャンネル数が増えて、面白くもない酷い番組ばかりが並ぶようになった、デジタル化以降のテレビ。
 ドキュメンタリーすら、自主制作番組は旅モノ(世界遺産!)ばかりで、BGM選びすらなんの想いも感じられないし、ドラマは安物の韓国モノか、古い番組の再放送。それとモノを売りつけるばかりのチャンネルが並ぶ。消費こそ美徳とでもいいたいのだろうか? このご時世にそんな余裕はコチトラにはない。

 視聴者を最も馬鹿にしていると思うこと。
 きっとわざとなのだろうが、総体的に番組のクオリティが限りなく低い。いまのテレビ番組を見ていると、まるで「お笑い」が日本のすべてを取り仕切っているような気さえしてくる。
 お笑いタレントが悪いと言うのではない。ボクもお笑いは好きだ。お笑いタレントの中に優れた見識を持った人、頭のいい人、政治向きの人、さまざまいるのも承知だ。

 だがいまのテレビ番組は、政治家や法曹界の人間、大学教授、政治評論家、その他さまざまの社会のリーダーまでが、「お笑い」化している。そして、お笑いタレントと同じ土俵で笑いを取り合っている。見ていて馬鹿馬鹿しさの極みだと思ってしまう。
 問題はそこだ。

 なぜなら、本来心底真剣に語られなければならない問題すら、お笑いのオブラートに包まれて、別の問題化してしまう。つまり笑えるか笑えないか、面白いか面白くないかのような。

 完全な日本国民「総愚民化」のプロセスのような気がしてならない。

 真剣に話をする人は、面白くない人、で一蹴される。これを「総愚民化」と言わずなんと言えばいいのか? 

 60年代の終わり頃だったか、できたばかりの放送局・TBSのテレビマン3人が「お前はただの現在にすぎない~テレビになにが可能か」という本を上梓した。優れた情報メディア論であり、テレビというメディアの持つ多くの危うさや可能性を提示していた。

 あそこに立ち返ることはできなくとも、もう一度検証してみる価値はあるのではないか、と思う。

 きっとこんなことを書くと、「じゃあ見なけりゃいいじゃないか」という声が聞こえてくるだろう。
 基本的に酷いと思えば見ない。だがすべてを見ないと拒絶すればものも言えないので、時々見ることにしている。
 そんな程度だ、最近のテレビは。