普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

東京電力!

2011-03-26 20:01:28 | 普通な人々<的>な
 下のHPアドレスは東京電力の報道各社向けのプレスリリース(3月26日16時版)だが、読んでいるうちに腹が立ってきた。なぜかは、読んでもらえればわかる。

http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2010/htmldata/bi1392-j.pdf
 
 人間というものは、なにかの事象を目の前にし、当事者ともなればきちんとした説明を望む時には説明を要求するし、謝罪を必要とする時は謝罪を要求する。
 そうした一つ一つにきちんと対応しなければ、なにかの事象に責任ある者は、責任を免れるものではない。
 いま東電はどんな責任を負っているのかといえば、およそ全世界の生あるものに対しての責任を負っているのだ。ひょっとしたら、地球誕生以来はじめて、民間企業が負った最高レベルの責任かもしれず、その責任範囲は、福島、関東、日本、アジアというレベルの範囲ではない。全地球、全生命が該当する。
 だが、日々の東電の記者会見や事情説明の姿を見たり、上記のプレスリリースを読んだりしても、地球規模の、その重みと痛みと深い絶望に対峙しているのだという緊張感も、必死さのかけらも感じられない。
 通り一遍の事情説明とデータが羅列されているだけだ。
 正直、「プレスリリースになにを望むのか」という声も聞こえてきそうだが、東電がこの危機的、末期的事象に必死に対応しようという姿勢があるなら、たった一行の報告にも顕れてくるものだ。それが見えない。
 身を賭して原子炉の冷却のための放水をしているのは、誰か? 自衛隊員や警察官、各地の消防隊員だ。そのことに触れることもない。消防車をどこそこから借りていますというだけだ。
 毎日、毎回の報告に、東電社員以外で放水冷却活動や、危機回避活動に携わっている人々の名前と状況を記載しても良いくらいだ。
 ボクの中で、東電に対する信頼感は、いまのところ限りなくゼロに近い。そんなことは東電にとってはへでもないのだろうが……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする