迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

“コウタ”とコウタ(セルフビルド考23)

2011-10-30 22:38:38 | セルフビルド考

「アートスペース樫の木」  名前の由来

我が家の正式名称は、「アートスペース樫の木」。

「ノアの箱家」は、そのうちの居住家屋を指し示す名称だ。

「アートスペース樫の木」の名前は、かつての教え子がポケットに大事にしまいこんでいたどんぐりの実から芽生えたナラの木に由来する。

 

教え子の名前はコウタ君。

私が初めて本格的に指導した自閉症の子どもである。

出会った時、彼は小学1年生。自発語が無く、表情も乏しかった。

校庭で友達に押し倒されて馬乗りされては叩かれ続けても、コウタ君は、無表情に寝ころがっているだけだった。(叩いている子の方も自閉症の子どもで、決していじめているのではなく、それが仲のよい二人のコミュニケーションだった)

それを見るたび胸が締めつけられるのだが、果たしてどう指導していいか皆目見当がつかず、手探りの日々だった。

うさぎが好きだと聞き、教室でミニうさぎ(現在、我が家の中庭で老後を過ごしているちょこちゃん)を放し飼いにし、情操と言語を育む方法とした。

毎日うさぎを指差し、「あれは、“うさぎ”。」と語りかけ、黒板に書いた「う」「さ」「ぎ」の文字を発音しながら、コウタ君の指を持って一緒になぞり書きし続けた。

けれども、コウタ君は一向に喋ってはくれず、半ば諦めかけていた3ヵ月後、突如としてコウタ君は、自分の足元に駆け寄ってきたちょこちゃんを見て、「う~~さ~~ぎ~~」と、喉の奥から搾り出すような声で喋った。

繰り返される「う・さ・ぎ」という言葉の発音は、次第に明瞭に、速く、大きくなっていく。そして、コウタ君は勢いよく黒板に駆け寄って行き、「うさぎ」と自力で書いた。

目の前で起こっていることを理解するまでに時間がかかった。 衝撃的な出来事であった。

その日の光景を、私は今もはっきりと記憶している。

ヘレンケラーが初めて“WATER”と言った時のサリバン先生の感動は、きっとこんなふうだったのではないだろうか。

それ以降、来る日も来る日もコウタ君は、一人で勝手に「う・さ・ぎ」と喋り、書き続けた。時には、ノートや紙切れにも「うさぎ」を連発し続けた。

コウタ君にとって、物には名前があること・・・それは大きな発見であり、それほどの大きな喜びだったのだ。

それをきっかけに、コウタ君は急速に多くの言葉を覚えていった。

同時に、少ないながらも自発語も発するようになった。

 コウタ君は、多くの気付きと感動を私に与えてくれた子どもの一人である。

 

コウタ君は、小さな丸いもの:ビービー弾やどんぐりの実を集めるのが大好きだった。

お母さんが服を洗濯するとき、ポケットの中からしょっちゅう大量のどんぐりの実が出てきた。

コウタ君はそれを庭じゅうに次々埋めていき、家のあちこちからどんぐりの芽が吹き出した。

お母さんは、それらを抜き取り続けるというどんぐりとの戦いに突入したのだが、一つだけコウタ君専用の朝顔の植木鉢の中のどんぐりだけは残しておいた。

私とコウタ君の別れが近づいてきた頃、小さな鉢に5本の木がはちきれんばかりに育っていた。

お母さんは、「このままでは大きくなって困るから、捨てようと思います。」と言った。

「じゃあ、このどんぐりをコウタ君の思い出として私に下さい。」と言って、私は鉢ごと貰い受けた。

土地を買ったとき、隅っこに植え、この木を我が家のシンボルツリーにしようと決めた。

そして、どんぐりを“コウタ”と名付けた。

 

 一口にどんぐりと言っても、落葉樹のナラや常緑樹の樫など多種多様なのだが、私は、かつての教え子が拾い集めて宝物のようにしていたどんぐりを、どういうわけか常緑樹の樫と思い込み、「樫田の樫の木か。ピッタリや!」と、即座に我が土地を「アートスペース樫の木」と名付けたのであった。

 ところが、冬になると、“コウタ”は木の葉を落とし、丸裸になった。

もしや?と思ってネットで調べたら、“コウタ”は、常緑樹の樫ではなく落葉樹の楢だったと知った。

だが、私の“コウタ”は、あくまで樫の木であって、楢ではない。(正確には、常緑樹になろうとしてもなれない落葉樹、樫と間違われた楢)

私は、「あすなろ」という歌を思い出して、しばらく口ずさんでいた。

「大きな檜に明日はなろう」とどんなに願ったところで、あすなろはあすなろ、檜にはなれないのだという説明を受けて小学校時代に習った歌だ。

  

     あすなろ、あすなろ、

                     明日はなろう。

                     お山の誰にも負けぬほど、

                     ふもとの村でも見えるほど、

                     大きな檜に明日はなろう     

 

だが、あの歌は決して絶望の歌などではない。

いい、このままでいい。ボタンのかけ違えは、きっと初めから約束されていたことだったに違いない。だったら、ボタンのかけ違えも、まるごと慈しんでいこう。

そう思った。

勿論、「アートスペース樫の木」を、「アートスペース楢の木」に変更しようとは思わなかった。

 

Wコウタ

“コウタ”を植えて半年がたったとき、コウタ君一家が囲炉裏茶屋に私を訪ねてきた。

土地へ案内し、“コウタ”の前でコウタ君を含む集合写真を撮った。

それから2年が過ぎ、今日、再びコウタ君一家がやって来た。

先だって、ちょこちゃんが高齢化して病気を繰り返しているので、もう長くは無いだろうと知らせたら、「生きているうちに会いに行きたい。」とのことだった。

コウタ君はすでに声変わりをしていて、身長は私より大きくなり、筋骨隆々。毎日筋トレをしているという。

ちょこちゃんとの再会を果たし、小丘の上の久保柿を高枝鋏で収穫し、工事の廃材の焚き火を楽しんで、コウタ君一家は帰って行った。

お~い!!今度は、ブラックベリーとブルーベリーを収穫しにおいで~。

車が田んぼの向こうに見えなくなるまで、私は手を振った。

 

                   

地植えのままでは巨木になってしまうので、間引きをしてから大きな鉢に植え替えたのが、今年1月。

“コウタ”には三つのおまけがついていた。これは、春になって花が咲き、正体を知った。シラー(orチオノドクサ)、百合科の花である。白い可愛い花が咲く。

 

 

                      

今年1月には、私の身長ぐらいまで伸びていた。冬は、“コウタ”にイルミネーションする。

後ろに見えるのは、小丘の柿と梅。

 

 

                      

 

 

“コウタ”は、落葉樹のままでいい。樫と間違われていた楢と分かっても、そのままでいい。

楢は、冬になると、衣服を大地に脱ぎ捨て、それを命の糧として他者へ与える。

“コウタ”とコウタ君、ともにすくすく育て。健やかにたくましく生きよ。

 


 

 


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