迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

扉の仕舞い

2012-04-30 17:18:01 | 「ノアの箱家」工事進捗状況

扉の上の鉄の隠し方

わやわやがやがやと、どうやって扉の上の鉄を隠すか話をしてきた。

結局は、マホガニー路線(人の言うことを素直に聞くこと。時には、そのおかげで馬鹿を見ることをさす)でいくことになった。

中ちゃんの意見を取り入れた。

                        

                                 一昨年の冬。まだ床板しか貼れていない状況。

この中で冬を越した。夜の室内温度は-3度。それでも日中は、23度まで上がるという寒暖の差の厳しさ。昼は、南向きの大ガラスのおかげで気温が上がり、夜は、コンテナの鉄のせいで一気に外気温との差が縮まってしまうという状況だった。

 

 

                         

                                      昨年、夏。天井を貼り終えた段階。

扉と件の扉上部の鉄は、まだ丸見え状態。ケーブルテレビのアンテナ線がぶら下がっている。今思えば、天井工事のときに、コードを天井に入れて隠しとけばよかったんだ。

 

 

                      

                          アンテナ線がぶら下がったままで扉の板を貼りつけていっている途中。

 

兄ちゃんと喧嘩しながら作業をしていたのが懐かしい。断熱材は3cmほどの薄さだが、上から厚み1.2センチの檜板を貼るので、ちっとも寒くない。夏は、屋根の上に工事用杉足場板のデッキを載せているので、暑くもない。これが直射日光直撃だったなら、地獄絵図が見られることだろう。「ノアの箱家」は、もともとコンテナの上に、ガルバリウムの波板の屋根を載せていたが、熱気でピチピチうるさく爆ぜる音がしていた。ガルバ屋根とコンテナの天井の隙間は最大50cmあったので、風の通り道の「ノアの箱家」は、ピチピチ音のうるさいのさえ我慢すれば、暑くはなかった。

が!が!が! 

杉板のデッキの効果は素晴らしく、さらにもっと涼しい家となった。本当に扇風機ともおさらばしたのであった(壊れたので、捨てた)。勿論、ピチピチ音はしなくなり、冬のガルバ屋根からの氷柱も発生しなくなった。

ノアの設計士は、「冬の冷気と湿気からくるガルバ裏の氷柱は避けられないでしょう。」と言っていたけれど、一昨年よりも寒かった去年の冬、氷柱どころか、結露さえ発生しなかった。恐るべし、工事用足場杉板の力!!

・・・あら、話がそれちゃった。

 

 

                    

                                           先週の仕舞い工事後の写真。

扉と扉の突合せのところは、上から薄い板を貼って抱き合わせにする予定。件の扉上部は、天井に細い棒状の木材を打ち込み、L字型に細工した被せ材をそれに打ち込んで、鉄を隠すようにした。ただ、中古コンテナの歪みのせいで、上部に隙間が見えるのが残念。向かって左の端に向かうほど、天井が下がっているらしく、よく見ると上部に隙間が見える。この隙間は、次回の集中工事の時に、斜めに切った木板を打ち込んで、誤魔化す予定。


 

 


森林センターの桜

2012-04-26 20:52:32 | 高槻の観光案内

一足遅れの満開

先週、森林センターの桜が満開になった。下よりも2週間遅い。

樫田では、例年連休に満開を迎える桜もあるので、私は、山の上下で1ヶ月半も桜を楽しめるわけだ。

 

       

森林センターの宿泊施設「槻木荘」と別館(写真右)。本館から渡り廊下を通って、温泉にいける。泉質は、以前のようには良くない。わずかだがフッ素成分を含んでいるので、かろうじて、「温泉」と称することが出来ているだけである。

 

ここの宿泊料金が、高い! 二食付きだが8400円だったような・・・。本館横にある別館(写真右)は、さらに高くなる。だが、うまくセット料金のあるコースを選定すると、6700円ほどで宿泊できたと記憶している。

しかし、それでも高い!!

今は営業していないが、敷地内には、正真正銘のロッジがいくつか点在しており、こちらの方がずっと風情があっていいのに・・・。“ロッジ”と称する別館は、どう見ても、ただの旅館でしかない。何とか、本物のロッジを再営業してもらいたいものだ。

 

 

          

先週の土曜日、大工が来る前に、営業時間前の早朝から散歩に行った。門など無いので、イケイケだ。勝手に敷地内に入り込み、田能川(芥川の上流)沿いの桜並木を歩く。地元民の強み、人がいない静かな時間帯に桜独り占め。

ソメイヨシノだけでなく、山桜もあり、それが少しずつ開花時期がずれているので、長期にわたって桜が楽しめる。雪柳も咲き乱れているのだが、崖には菫がびっしりへばりつくように咲いていて、それがなんとも言えず、可憐である。

歩いていたら、見覚えのある軽トラが川沿いの反対側の道を登って行った。携帯で電話をかけると、やっぱり、兄ちゃん(大工)だった。

大工:「おい、今どこにおるんや? KOKKOちゃんの車、森林センターに止まってたで。」

KOKKO:「うん、森林センターにおる。桜見てるねん。」

この日、コンテナ内の仕上げ作業。扉の上の鉄部分を板で隠した。アンテナ線や電気コードが完全に姿を消した。(後日、写真で紹介)

昼は、奮発して地鶏の炭焼きをデッキでした。勿論、取れた手のしいたけと鮎も焼いた。いよいよ食べようとしていたら、ひでちゃんが来た。

「ただ食いはいかんぜよ!」と、ここぞとばかりにこき使う。

食べ終わった直後、中ちゃん到着。その後、古曽部のおっちゃんも友達を連れてやって来た。その頃には、我が家の青少年の友達(常連)もやって来て、畑仕事。大賑わい。

楽しい一日だった。

 

お金がもう無いので、後は、夏の作業。

風呂場もまだ出来ていない。コンクリートの床に風呂桶がデンと置かれているだけの風呂場で秋まですごすんだ。工事は一息ついて、後は、畑仕事とペンキ塗りなど、一人で出来る作業で時間を過ごすことになる。


 

 


ノアの箱家、花盛り

2012-04-22 09:33:26 | 建築一般

ここの景色は、みんなあたいの物だいっ!

周りの景色も自分の家として、取り込もう。

この土地を買った時からずっと決めていた。

隣家の敷地である小丘も、あたかも私の家の庭のように景色の中に取り込む。

田んぼ越しに見える向かいのAさん所有の破竹林も私の庭、家の上の孟宗竹林(大阪経済大学所有)も私の庭、里道の崖(Tさんちの敷地)も私の庭だ!!

ここでしか味わえないものは、全部自分の物として、満喫しきる。

これは、お金に換えられないもの、そして、物理的に所有しない限りにおいて、視覚的に嗅覚的に楽しむ自由だけは保障されている、法的に違反していない!・・・法律の壁に苦しんでいた当時の私にとって、「じゃあ、法律の網目を何としてでも潜り抜けてやるんだ。合法的に認められることは何だってしてやる!」・・・ 「く」と「そ」と「っ」と「た」と「れ」と「!」の心境だった。

今思えば、そんなことは誰だって、普通にやっていることなのだけれど、ほとんど復讐心と言ってもいいぐらいの激しさで、当時の私は思いつめていた。

「水仙ロード計画」の思いつきもその延長だった。

幸い、土地所有者の承諾も得られたので、草刈・管理を請け負う形で、ここまでやって来た。近所の人たちが散歩コースを変更してまで、この道を通るようになったこと、旧明智街道抜けのハイカー達が水仙の写真を撮りまくっていること、これは、とても嬉しくて、励みになる。

 

「住居」だけが住居なのではない。

人間は、環境全部を自分の五感を通して「自分の居場所」として、感じ取っているのだ。

以前、見かけた某デザイナー設計の家は、窓や天窓が大きく取り付けられた素晴らしいデザインだったが、何と、隣の家との隙間が詰まっており、その立派な窓を開けると、隣の家の裏壁・窓と接していた。これでは、窓を開け放つことは出来ないし、カーテンまで常時締め切っていなければならない。実際、隣家は、窓に目隠しを設置していた。おまけに、斜め向かいの家の洗濯物が目の前にゆらゆら揺れていた。

「この家は、森の中の家、丘の上の家なら、デザイン的に素晴らしい、けれども、立地条件を無視した設計だ。」と、私は、不動産屋に文句を言った。自分の家でもないのに、腹が立ってきたのを記憶している。

周辺環境を無視して設計すると、これは、もう暴力と言っても差し支えない。

高いお金をかけて自分の居場所を求めたのに、居場所から終われるように、持ち主は、その家を売りに出したのだ。

 

私には、引き返すことが出来るお金は無い。

だったら、少ないお金で家を造ろう。その代わり、無料の環境を思い存分楽しめるような家が欲しい。そう思って、私は、ここへやって来た。樫田は、後に、大阪府の災害ファザードマップで、地震による揺れの大きな場所(樫田盆地は、自然水販売業者が地下水をくみ上げる工場を作っているぐらい、周囲の山からの湧き水の豊富な所。逆に言えば、地盤が緩い。)と知ったが、それでも、今はもう納得できる気持ちになっている。

 

 

        

サクランボ(暖地)は、去年、初めて実った。サクランボの開花は、他の桜よりも一足早いので、今年はもう花は散った。サクランボの左の山吹が、今は蕾を膨らましている。手前の薄桃雪柳が、現在満開。これからは、芝桜が斜面全体を見事な薄紫の絨毯で覆いつくしてくれるだろう。水仙は、近所のKさんが分けてくれたとてもいい香りの水仙を中心に植え込んだので、アプローチを通るとき、むせ返る程。はくモクレンは、3年目。昨年の剪定が失敗。今年の花数はとても少なかった。沈丁花は、350円で買った苗が、今では立派な木となった。沈丁花の足元に、畑山葵とうるいなんどの山菜が増えつつある。プランターには茗荷。

 

 

     

新聞配達のオジサンが、どうしてもアプローチの花芽を踏んでしまうので、咲くことなく枯れてしまったムスカリがいくつもある。クロッカス→ミニ水仙→シラー、プスキニア→ムスカリ→ミニチューリップ→すみれ→なでしこ→アイリス→レインリリー→サフラン(秋)の順で咲くよう、植え込んだ。日当たりがいいので、球根の分球が凄まじく、植え替える場所に困ることがあるほど。アネモネも恐ろしい勢いで求婚が増えたので、水仙ロードの斜面に分球した。畑の周りも花だらけにしよう!!

 

 

              

水仙ロードの水仙は、盛りを越し、今は、ムスカリが咲き始めた。変わり咲き水仙と香りの強い水仙が多い。今、れんげが咲き始めている。そのうち、水仙ロードは、レンゲロードに切り替わる。

 

 

                     

水仙ロードの左崖には、もともとすみれが咲いていた。現在、山から次々色んなすみれや鬼百合を誘拐してきて、ここに根付かせている。すみれは、ここと相性がいいよう出、小さな花が雑草の隙間から見える姿は、とても可憐だ。

 

 

                 

菜の花が満開。来年は、もっとたくさん菜の花の種を撒き、菜の花の斜面にしよう。日当たりがいいので、美味しい菜の花がたくさん育つし、とても綺麗だ。菜の花の間からは、実験的に植えたアネモネやムスカリがのぞく。鉄砲百合は、どうやら、寒さで上部が枯れてしまったようだ。

  


 

 


水仙ロード計画の今

2012-04-11 00:32:12 | 高槻の観光案内

ティタティタ満開

黄色いミニラッパ水仙のティタティタが満開になった。

水仙ロードには、20種類ほどの水仙が次々時期をずらしながら咲くようにした。

厳寒期の寒咲日本水仙を皮切りに、スノードロップ、黄色いラッパ水仙(名前は忘れた)、ティタティタ、八重咲きラッパ水仙(これも名前は忘れた)、黄房水仙、etc.

近所の人たちがわざわざ散歩コースを変更して見に来ているようだ。ハイカーたちも写真を撮りまくっているらしい。嬉しい限りだ。あと数年もすれば、丘と崖全体が水仙と彼岸花で埋め尽くされ、「水仙ロード」の名にふさわしくなることだろう。

樫田の名所になればいい。

 

              

ティタティタが、普通のラッパ水仙の後ろに隠れてしまっている。しかし、繁殖力が強いティタティタは、わずか1年で2倍の量になったので、この調子で行けば、一番丘を埋め尽くすのは、これだろう。黄房水仙は、色こそ違えど、寒咲日本水仙と同じ形。咲く時期も2ヶ月ほどずれてはいるけれど。なかなかインパクトのある水仙。

 

             

ティタティタは、とにかく小さくても目を引く。毎朝、丘を眺めて悦に入っているKOKKOちゃん。水仙ロードには、ムスカリや菜の花も参加。菜の花については、来年は、もっと大量に種を撒こう。崖一面の菜の花にしたい。ちなみに、この菜の花、蕾をおひたしにして食べたら、とても美味しいので、一石二鳥。